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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(24)
仁蔵さん百四歳 長寿のごほうび
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

川内村(現村上市河内)の仁蔵さんが百四歳で、出雲崎の代官所からお祝いの通知がありました。
文化十一(一八一四)年のことです。原文は珍しく朱墨で書いてあります。こんな内容です。

◇幕府からのごほうび
「長寿のほうびに米十俵を下さる。これは、老中首座(今で言えば内閣総理大臣)の松平伊豆守(いずのかみ)様の指示で、勘定奉行の肥田豊後守(ぶんごのかみ)様が通知してきたものである。なお、御本領からも絹一疋(ぴき)を下さる。この旨、よく心得るよう、申し渡す」
今なら、「おめでとうございます。お祝いをお受け取り下さい」と言うところですが、身分社会の当時のこと、何とも仰々しい言い方です。

◇絹を下さるのは誰?
絹一疋を下さる「御本領」とは、どこのことでしょうか。
この頃、川内村は白河藩(福島県白河市)の預かり地になっていました。預かり地というのは、本来は幕府領ですが、大名や旗本などに預けることです。
ですから、幕府からの米十俵に合わせて白河藩からも絹一疋下さるという意味に読み取れます。
当時の白河藩主は松平越中守定信(えっちゅうのかみさだのぶ)で、伊豆守の前任の老中首座を勤めた人。寛政(かんせい)の改革を行った人として、歴史の教科書にも出てくる有名人です。

◇ごほうびの価値は?
仁蔵さんがいただいたごほうびはどれくらいの価値だったものでしょうか。
米十俵で四石、絹一疋は米に換えれば一石で、計五石。一石は大人一人一年分の食べる量。ごほうびは、五人が一年間食べられる米という計算になるようです。
ですが、絹は当時は、極貴重品。きっと宝物にしたことでしょう。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQRから)
※詳しくは、本紙に掲載の二次元コードを読み取ってご覧ください。

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