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特集 東海道川崎宿起立400年(1)

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神奈川県川崎市 クリエイティブ・コモンズ

■特集 これまでもこれからも 結ぶ川崎宿
かつて旅人や川崎大師への参詣客、地元の人が行きかっていた川崎宿は、東海道に53ある宿場(日本橋から京都までの東海道五十三次に、京都から大阪までの4宿を加え、東海道五十七次と呼ぶ場合もあります。)の一つで、今年で宿場が開設されて400年を迎えました。人と人を結んできた川崎、さまざまな人を受け入れ共に歩んできた川崎、それは昔も今も変わらぬ「私たちのまち川崎」の姿です。

問い合わせ:川崎区役所地域振興課
【電話】044-201-3136【FAX】044-201-3209

■川崎宿起立400年記念ロゴを作ったのは私です
是澤さん(広島県出身)
旅籠(はたご)や渡し舟など400年前の川崎宿の景色を再現し、伝馬朱印から着想を得た色、数字に富士山や三度傘を入れ込むなど、見て楽しめるよう試行錯誤しながら制作しました。
ロゴが想像以上に幅広く使われていて、驚いています。ロゴを通して、多くの方に川崎宿を知ってもらい、より愛されるまちになればうれしいです。

■知ってる?川崎宿豆知識
▽平らな川崎区にアップダウンが!?
平らな地形の川崎区ですが、東海道と市役所通りが交わる砂子(いさご)交差点には不自然な盛り上がりがあります。これはいったい何故(なぜ)なのでしょうか?

答えはこちら
かわさき歴史ガイド協会の藤田さん(宮城県出身)
川崎宿内の東海道は、元々の地形を利用し、盛り土をしたりして道を通しました。重要な街道である東海道を、多摩川や鶴見川の洪水から守る必要があったからです。
地形の名残りは高低差だけでなく、緩やかなカーブを描く街道にも残っています。川崎の歴史を知ると思いがけない発見があり、まち歩きが楽しくなります。

▽吉宗が感心した機転
八代将軍になるために江戸へ向かう徳川吉宗一行が川崎宿に滞在した際、その大勢の食事を川崎宿で用意しなければならず困っていたところ、川崎宿の名主だった田中休愚(きゅうぐ)が「白米1升を炊いて持参したものには3升分(「2升分」との説もあります。)の対価を払う」と呼びかけ、窮地を切り抜けました。この機転に吉宗はとても感心したと伝えられています。
災害などで困窮した川崎宿を立て直し、その後、幕府の代官にまで出世した田中休愚は、多摩郡平沢村(現在のあきる野市)の出身で、川崎宿田中家の養子となった人物です。
川崎は昔から他の地域から来た人を受け入れ、その人たちの活躍もあって発展してきたのですね。

▽川崎発祥!?三角おむすび
平川家文書(市重要歴史記念物)によると「△かくの如(ごと)く三ツ角小結ひにて丸き折敷三ツ宛ならべ」供したとか。「葵(あおい)の御紋」に似ていますね。

▽「紙しばいや もっちぃ」の望月さん(兵庫県出身)
結婚を機に川崎に住み、川崎は第2の故郷になりました。三角おむすびの話を知って、子どもたちに古里の歴史を語り継ぎたいと思い、南京玉すだれの芸とコラボした珍しい紙芝居「東海道川崎宿 アッパレ!三角おむすび物語」を作りました。子どもも大人も楽しんでくれるのを見ると、うれしいです。川崎を中心に活動しているので近くに来ましたらぜひ紙芝居を見てください。

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