文字サイズ
自治体の皆さまへ

関東大震災発生から100年

2/22

神奈川県 横須賀市

■「過去」を知る
1923年9月1日11時58分、関東地方を巨大な地震が襲いました。これが神奈川県西部から千葉県房総半島にかけての広範な地域を震源とした巨大地震、関東大震災です。
ことしで、関東大震災発生から100年となります。大地震による膨大な被害を知り、地震への危機感を改めて持ちましょう。

神奈川県域は震源の真上にあたり、広い範囲で震度6から震度7を記録しました。建物の倒壊などの他、昼という時間帯が影響して炊事場所から火災が発生し、住宅密集地では火災の延焼による被害も少なくありませんでした。そして、水道、電気、ガスなどのライフラインはことごとく被害を受けました。
市内(震災当時1市2町6村※1)では、戸数28,645戸に対し住家の被害が18,005棟、人口137,983人に対し死者・行方不明者が1,174人、負傷者は1,536人に上りました※2。

当時の建物は木造が多く、大滝町、本町、稲岡町、緑が丘の多くが焼失し、非常に大きな被害を受けました。また、若松町や米が浜通の大部分も焼失し、上町、公郷町、佐野町は一部焼失しました。

横須賀は急傾斜地が多いことから、10カ所で崖崩れが発生しました。横須賀停車場(現在のJR横須賀駅)付近にある見晴山の断崖が高さ30m、横440mにわたって崩落し、50人が生き埋めとなる被害が発生しました。この件について、「横須賀見学に来ていた女学生の生徒200人が生き埋めになった」といううわさ話が東京で伝えられましたが、結果としてこれは誤報でした。

横須賀戒厳司令部※3の作成したチラシなどを用いた啓発により、伝染病患者は散発的に発生をみたものの、流行状態には至りませんでした。また、震災による負傷者に対しては、衛戍(えいじゅ)病院※4が「横須賀臨時集中診療所」を開設して治療にあたりました。しかし、多くの負傷者に対応できる規模ではなく、医薬品も不足したため、他の鎮守府※5などに要請し、到着した救護班による臨時診療が行われました。

※1 横須賀市、田浦町、浦賀町、久里浜村、衣笠村、北下浦村、長井村、武山村、西浦村 
※2 『新横須賀市史通史編近現代』による。 
※3 震災後、戒厳令が神奈川県にも適用されると、三浦半島は横須賀鎮守府内に設置された同司令部により警備されることとなった。 
※4 陸軍病院の旧称 
※5 4つの軍港に置かれた海軍の拠点

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU