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伝統と魂を引き継いで

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福岡県田川市

閉校する7中学校の閉校式が開催され、在校生や卒業生、関係者などたくさんの人が集い、思い出を語り合いながら慣れ親しんだ母校に別れを告げました。

3月末をもって閉校する各中学校では、2月下旬から3月中旬にかけて学校最後の行事となる閉校式が開催されました。当日は在校生のほか、卒業生や地域のみなさん、関係者などたくさんの人が出席。それぞれが過ごした日々の思い出に触れながら母校を偲びました。
式典では、教育委員会による閉校宣言が行われ、あわせて校旗が返納されました。閉校を宣言した吉栁啓二(きりゅうけいじ)教育長は、歴代校長や教職員のほか、保護者や地域のみなさんなど、中学校を支えてくれたすべての人に謝意を述べ「各中学校の伝統の継承とその融合に力を注ぐとともに、各中学校の魂を新中学校のど真ん中に置いて、一緒に新しい中学校を作っていきましょう」と呼びかけました。
また、学校の歴史を振り返る映像の上映や写真展示、在校生の活動発表や合唱、学校縁(ゆかり)の著名人・卒業生からのメッセージ紹介、中学生や高校生による演奏など、各校で母校への思いが込められた企画が催されました。式典後には見学希望者へ校舎を開放。卒業生たちは玄関や生徒昇降口、廊下、教室などそれぞれの場所にある思い出話に花を咲かせながら、ときに笑い合い、ときに涙ぐんでいました。

■記念の品々
各校の閉校式では、記念品としてクリアファイルや記念冊子、学校縁の品々が配られたほか、在校生の作品や卒業生のメッセージなどが展示されました。

■在校生卒業生の声
閉校する中学校への思いや在校生へのエールなどさまざまな声を紹介します。

○親子2代・出会いと別れ 弓削田 平畑尚史(ひらはたなおふみ)さん
閉校式で展示された古い卒業アルバムに、若かりし頃の私を見つけました。私は、ちょうど現在の校舎が新設されたときの入学生。そしてこの春、私の息子が在校生として学び舎に別れを告げ、新中学校に移ります。懐かしさと感慨深さで、胸がいっぱいです。

○後藤寺の名前は永遠に 後藤寺 中山愛友奈(なかやまあゆな)さん
放送部員として「後藤寺」の名前の由来を番組にしました。そのことが、後に大人や地域の活動に広がることになり、中学生の力でも周りを動かすことができるのだと学びました。閉校しても後藤寺の名前は永遠です。みんなで一緒に引き継いでいきましょう。

○思い出のグラウンド 田川 坂田恵一郎(さかたけいいちろう)さん
幼少期の頃から慣れ親しんだ田川中。放課後や休日、いつも学校のグラウンドに行けば友達に会えていました。私にとって原点に立ち戻れる心の拠り所です。中学生のみなさんも、どこか「心の拠り所」となる場所を持ち、今後も活躍していってください。

○子どもたちを応援したい 鎮西 前田敏(まえださとし)さん
これで私の母校(小・中・高)はすべて閉校となります。中学校の閉校は、私たち大人が子どもたちのために決断したこと。寂しさはありますが、未来を担う子どもたちを心から応援したいと思っています。新しい出会い・人生の節目を大切に邁進(まいしん)してください。

○永遠に残る思い出 伊田 立花瞳美(たちばなひとみ)さん
放送部で閉校をテーマにした映像作品「Eternal」を作成。タイトルは形があるものは無くなるけれど、形の無いものは永遠に残るという意味です。母校が無くなるのは寂しいけど、これまでの日々も新中学校で過ごすこれからも、かけがえのない経験です。

○地域の温かさに支えられ 金川 有田詞音(ありたしおん)さん
在学中は地域のみなさんがイベントを開催してくれたり、マラソン大会で豚汁を振舞ってくれたりと、人の温かさに支えられてきました。今でも友人や地域のみなさんと繋がっています。金川中は人と人との関わりを大切にしている学校なのだと感じています。

○面白いことを探す日々 中央 バカリズム 升野英知(ますのひでとも)さん
僕にとって中学校生活は決して楽しいものではなかった。だからこそ、毎日必死で楽しいことや面白いことを探し、漫画やゲームやテレビのお笑い番組に夢中になった。あの時間があったから、今の僕がいると言っても過言ではない。ありがとう、中央中学校。

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