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地方のかがやき 燕市 新潟県(1)

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◆人と自然と産業が調和したまちで進められる「ひとづくり」
新潟県のほぼ中央にある燕市は、江戸時代に農家が副業とした和釘づくりに始まる金属加工の伝統が根づくものづくりのまちです。高度な加工技術を有する金型製作やプレスなどの工場が1700ほどもあり、さながらまち全体が分業制を採る巨大な工場のよう。特に金属洋食器は国内生産のシェア90%以上を誇り、市内では、これらを購入できるだけでなく工程の見学や体験もできます。
まちのシンボルは中腹に名刹・国上寺(こくじょうじ)がある国上山(くがみやま)。その展望台からは越後三山や越後平野、大河津分水路などの絶景を望めます。
農業も盛んで、市域の約半分を農地が占め、米、トマトやキュウリなどの野菜、さらに名物の背脂ラーメンや釜めしなど食文化も魅力的です。また、春は分水おいらん道中、夏は燕大花火大会、秋は鬼の仮装の人々が練り歩く酒呑童子行列、冬は塞(さい)の神などのイベントが季節を彩るまちでもあります。

■国内外で高く評価されるキッチンツール 購入だけでなく工程の見学や体験
◇農業生産額の約6割を占める 燕市のおいしいお米
かつて洪水が多く泥沼のようだった湿田が大河津分水の完成後、良質な乾田に転じ、越後平野は日本有数の米の産地に。燕市もコシヒカリやこしいぶき、新たな品種の新之助などを生産する米どころ。

◇華やかな行列に魅了される 分水おいらん道中
大河津分水に植えられた桜の花見客をもてなすために始まった分水おいらん道中。公募で選ばれた3名のおいらん役が絢爛豪華な衣裳を身にまとい、約60名の付き人を従えて、外八文字(そとはちもんじ)という優雅な歩き方を披露する。

◇通水100周年を迎えた 大河津分水
信濃川の洪水を防ぐため、水量を調整し日本海へ流す分水路の工事が明治42年に始まり、のべ1,000万人が従事、大正11年に通水。工事を記念して、6,000本の桜が植えられた。

◇新潟を代表する地元の味 燕背脂ラーメン
工場で働く人たちの要望を受けてできたつばめっ子のソウルフード。
文化庁の「未来の100年フード部門~目指せ、100年!~」に認定。

◇禅僧・良寛のゆかりの地 五合庵
国上山には、江戸時代の禅僧で、詩人・歌人・書家の良寛が約20年を過ごした五合庵(右)や良寛像(上)がある。

◇自然と遊ぶ道の駅 SORAIRO 国上(くがみ)
国上山の麓にある人気の道の駅。温泉施設やバーベキューエリア、宿泊可能なキャンプフィールド、RVパーク(車中泊施設)を備える。

◇良寛の思いを受けて開学した私塾を紹介 長善館史料館
良寛の慈愛の心を受け継いだ私塾であり、幕末から明治にかけて1,000人を超える有為な人材を輩出した長善館の歩みや学んだ人々の事績を紹介。

◇金属加工の匠の技を体験 燕市産業史料館
燕の金属加工の歴史が分かる施設。体験工房館では銅板を金鎚で叩く鎚目(つちめ)入れという技法による器づくりなどに挑戦できる。

※写真は本紙をご覧ください。

◎Tsubame City
人口:76,898人(令和5年6月30日現在)
面積:110.9平方キロメートル
市の鳥:ツバメ(燕)
市の花:キク、サルビア、バーベナ・テネラ
市の木:サクラ
【URL】https://www.city.tsubame.niigata.jp

■「日本一輝いているまち」を目指して
燕市長 鈴木 力(つとむ)

国内外で高く評価される金属加工産業の集積、越後平野を日本一の穀倉地帯に変えた大河津分水路の建設、これらの偉業を成し遂げた先人の知恵と努力を受け継ぐまちとして、燕市は「日本一輝いているまち」を目指し、さまざまな施策に取り組んでいます。また、私塾・長善館の伝統を有し、教育に熱心なまちでもある本市は、個性や学力を伸ばす学習環境を整備するとともに、「子育てするなら燕市で」と評価していただけるよう、子育ての支援にも力を入れています。

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