文字サイズ
自治体の皆さまへ

【特集】これからも私たちの大切なパートナーとして(1)

2/30

長崎県対馬市

日本在来馬の対州馬は、対馬の人たちの暮らしに寄り添って生きてきました。私たちの暮らしが大きく変化した中で、対州馬のあり方にも変化が生じています。対州馬のこれまでの歩みを振り返り、これからを考えるヒントを探します。

■「馬」は、人類のパートナー
馬は、今から4200年~4700年前、ロシア南部で家畜化されたと言われています。以降、耕作や荷役、移動手段として使用されるなど、人々の暮らしを豊かにするためのパートナーとして生息してきました。
日本では、モンゴルで暮らしていた馬が、古墳時代に朝鮮半島を経由して伝わってきたと考えられています。1500年ほど前に有力者の墓として日本各地に作られていた古墳の中には、馬の骨や馬具が収められていたほか、馬の形をした埴輪が置かれていることから、馬が、その時代の人たちの生活に大切な存在として扱われていたと考えられます。そして、その頃に対馬にやってきた馬が対州馬の先祖だと考えられています。

■日本に古くからいる在来馬と対州馬
大陸から日本各地へと広がった馬たちは、それぞれの地域で繁殖しながら、その地域や仕事に合わせ、特徴を変化させてきました。現在8種類の馬が日本在来馬として残っていて、その中の1種類が「対州馬」です。
対州馬は、遺伝的に日本在来馬の中でも、比較的モンゴルの在来馬に近いということがわかっています。また、考古学的には、九州北部が国内で最も早い時期に馬にまつわる出土品が確認されていることから、対馬に渡ってそのまま生息した馬、または、九州北部へ向かったのちに対馬にやってきたのではないかと考えられています。

■対馬の自然と人々の暮らしに寄り添った対州馬
対州馬は、険しい山道の多い対馬で生活するために、蹄や脚など体が丈夫なことが特徴です。また、小柄で温厚な性格は、女性や子どもなどにも扱いやすく、対馬の人たちは、対州馬と一緒に険しい山の中へ入り、荷物や人を運んだり、斜面に作った農地を耕したりする動力源として大切にされてきました。多い時には数千頭の対州馬が島の中で飼われていました。

◇江戸時代の対州馬
江戸時代の資料が多く残る宗家文書によると、藩主や家来など、武士が使うために「牧」といわれる牧場で飼われていたことがわかります。
また、藩が持つ馬を各集落に預けていたことも資料から読み解かれることや、現在の対州馬にはない色の馬がいたこと、父親や母親がどの馬なのかを記した箇所もあり、歴史を知る上でも、生物として知る上でも貴重な資料です。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU