■江戸時代、中野市域に設けられた天領陣屋(一)
―所在地が特定されていない金井陣屋―
江戸時代、天領(幕府領)となった中野市域には、天領を治める陣屋(じんや)(代官所)が設けられた。中野陣屋は良く知られているが、この他にも金井・西条・新野陣屋があったことはあまり知られていない。
1624(寛永元)年、福島正則(ふくしままさのり)が病死した際、中野地方の旧福島領は天領となった。この時、中野村には旗本河野氏の陣屋があったので、新たに金井村と西条村に陣屋を設けて支配することになった。
金井陣屋については、1656(明暦2)年の深沢村開発関係文書に、「これは金井村御陣屋近山五郎左衛門様なり」と記されていることから、その存在が確認されている。
『長野県町村誌』の金井村の頁には、「金井陣屋は元標より寅(北東)の方にあり、東西30間、南北25間であった。金井陣屋が1665(寛文5)年に西条陣屋へ移った際、金井陣屋のあった場所は畑となった」などと記されている。また、「寛永のころ、旅屋堰(たやせぎ)は陣屋の用水堰として開いた」との伝承もある。
こうした『長野県町村誌』の記述や伝承、さらに現在の用水堰の形から、金井陣屋のあった場所は、金井(字道嶋)517番地の湯本氏屋敷辺りが有力な候補地としてあげられている。しかしこれとは別に、地元では金井公会堂西側の金井1082番地辺りも候補地としている。
このように、金井陣屋があったことは確認されているものの、陣屋のあった場所は、今のところ特定されていないのである。
寺島正友
「高井」常任委員
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