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想いを石に刻む~高遠石工の歩いた道~

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長野県伊那市

■Vol.32「市内の貞治仏探訪(8)」
これまでに守屋貞治(もりやさだじ)が手がけた建福寺(けんぷくじ)の西国三十三所観世音菩薩を紹介してきましたが、これ以外にも貞治は建福寺に観音様を遺しています。建福寺の貞治仏の多くは山門周辺にありますが、墓地にも素晴らしい聖観世音菩薩があります。斎藤姓の二人のために貞治が造ったものです。今回はこの観音様を紹介します。
聖観世音菩薩は観音様のなかで一番シンプルな姿をしています。左手で蓮の花を持って清らかな世界であることを表し、右手で施無畏印のポーズをとり安心してよいことを表しています。
この聖観世音菩薩は高遠の青石で造られていて、自然石をくり抜きながら光背と像と蓮華座を表現しています。このような像の彫り方を半肉彫りと呼んでいます。多くの貞治仏は丸彫りと呼ばれる前後左右を綺麗に削って全身を彫り上げた像なので、半肉彫りは新鮮なデザインに見えることと思います。半肉彫りは丸彫りほどの立体感を表現することが難しいのですが、自然石のごつごつした感じを残すことで、岩石の中から現れた観音様の姿の柔らかさや優しさを際立たせています。山に籠って修行し悟りを開くという仏教の考え方にも合っています。
この観音様は側面と背面に文字が刻まれています。左側面には「定応恵戒尼比丘文政十一戊子十月二十九日」、右側面には「文政二己卯年七月十八日良岳泰仙上座」という男女の名前と亡くなった日が刻まれ、背面には「観世音菩薩ははるか昔から迷える生き物たちを救うためにさまざまな姿に変わる。ここにまつる泰仙公は観世音菩薩信仰にあつく、朝も夜も仏を拝み、同じように観音を信仰する人々に福と知恵のご利益を与えてくれた」という意味の漢文が刻まれています。大変慕われた方だったのだろうなと想像させてくれます。泰仙は「上座」という最高位の僧を意味する言葉がついており、建福寺の僧だったと考えられます。故人を顕彰する言葉が刻まれたこの観音様は願主の特別な願いと願主・個人のためを思う貞治の温かな気持ちが込められているように感じられます。

問合せ:高遠町歴史博物館

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