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マイオピニオン 意見・私見「私の富倉」

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長野県飯山市

富倉地区 小野英子

■飯山市の温かさ
四十何年かぶりに、生まれ育った飯山市の仮住民となった。
驚くことの一つは、市民一人ひとりと市行政とのかかわりが、見えることである。ということは、行政側でも市民の状況は把握していることになる。窓口になっている地区活性化センターの役割の大きさと、大切さを実感している。今まで暮らした都会の役所では感じられない温かさは、市役所の窓口でも同様で「あの家の兄ちゃ、道路××課に居るんだサ」なんて都会ではあり得ない。
また、自分が選んだ市議会議員への眼差しもきびしい。選挙中の公約は、八十五歳のおばあちゃんでもしっかり覚えている。
その昔、政府が市町村合併の大号令をかけた時、その時代の栄村の高橋村長が「行政は小さくて良い!」と言われていた事を思い出した。高齢者の割合が高い飯山市の内情はわからないが、生まれて育って安心してそこに住める環境を整えてあるからこそ、雪深くとも、高齢になり連れ合いを亡くしても「共生の郷づくり」の基本は昔から富倉衆の生き方で、せわやきとおせっかいだらけだ。
住んでいる倉本村(区)は、富倉の中で古い集落と言われ、親類縁者?の村?で、事あるごとに「どーした!」と集まる。が、今村の人口は十人(一人は施設)、八十才以上は七人。自分の時代でこの古い村は終わる。誰もが思っているが、痛いとか悪いとか言いながらも、子や孫の野菜づくりに励んでいる。負けられないと「ふるさと館」「わらのサークル」に入れてもらった。

■縄はなうもの
雪深い富倉では、昔から稲わらで一年中使う縄をなったり、織ってムシロやカマス等を造るのが冬の仕事だった。
子供の頃から縄ないは得意で、なった縄を膝でささえながら、尻の下を通して後に引いていく。三束(たば)ほどなうと尻の後ろに小山ができる。定められたメートルを計って一束にし、十束を一足(そく)として売れる。次の朝学校で、何足になった!と自慢しあった。
今、ロープ(綱)といえば化学繊維で、わら縄で荷造りした物はみたことがない。
せめて自分の家で使うものはと、田んぼを耕作していた家からわらをもらい、縄をない、しばったり張ったりしていたので「わらのサークル」へ喜んでメンバーに加えてもらった。だが、縄を初めてなおうとする人たちが多いことに驚いた。
街の人は、やむを得ないのかと思い、富倉で「どうろくじん」のしめ縄作りをしたが、五十歳代はほぼなえない。縄はなうものであって、あむものではない。が、「縄をあむ」と言う。学校で教わるものではなかったが、「縄の授業が2回あった」と…。
時代の変化をまざまざと見せつけられた。安価なプラ物等、種々あるが、あえて鍋敷や、かぼちゃの座布団等、こだわりながらわらで作っている。若者と話す機会が近年ほとんどなくなり、「わらの会」のメンバーの若い人たちと話ができるのが楽しみになった。

■筆者紹介
小野英子さんは、退職を機に夫と一緒に倉本へ、埼玉との二重生活でしたが、自然の多い倉本での生活が昔を思い出させてくれ心を豊かにしてくれました、と飯山での思い出を語ってくれました。(富倉公民館)

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