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〔特集〕第100回市田灯ろう流し大煙火大会(2)

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長野県高森町

■〔座談会〕先人の思いを胸に〜100回目に向けて
運営の柱として長らく力を尽くしてきた出砂原自治会の志を継ぎ、今年度から煙火大会は、高森町観光協会を中心に商工会、住民有志らで作る実行委員会が担当することになりました(灯ろう流し、川施餓鬼法要は引き続き出砂原自治会が担当します)。今回は長年祭りに携わり、現在も実行委員として活躍中の木下さん、岡島さん、中垣さんと、同自治会長の福島さんに100年の歩みとこれからについて話を聞きました。

―祭りの思い出で印象深いものは?
木下:最初の記憶として残っているのは5歳頃。家族と花火を見た思い出があるね。
岡島:昔は今のような外露商(屋台)はほとんどなくて。商店街に120店ほど店があったからそれぞれの店を中心に賑わっとった。
中垣:やぐらの周りで盆踊り大会をしたり、和太鼓やみこしなんかも出て盛大だったなぁ。
福島:舟下りがあった頃は川に繋いであった舟を一隻いくらで貸し出していてね。ごちそうを持ち込んで宴会しとる人たちもおったなぁ。
木下:今は河原でナイアガラをやっとるけど、昔は文字が浮き出る「仕掛け花火」があって、あれは派手で華やかだったな。
中垣:今はお客さんも若い人が多いけど、昔は子どもも年寄りも出てきて、もっと家族的な雰囲気だった気がする。あちこちから親戚を呼んだりして、8月日を年に一度の大きなイベントとして心待ちにしている人も多かったんじゃないかな。

―地域の皆さんはどのような形で携わってきたのですか?
木下:これまでは準備から当日の運営、翌朝の片付けや花火のごみ拾い、会計までほぼ全てが自治会の仕事だった。4月に三役が決まってから、各常会に仕事を振り分けて5月頃から3カ月がかりで準備して。
中垣:煙火係になると7月上旬から2週間くらいは寄付集めに奔走する。帳面片手に北から南まで駆け回った思い出があるよ。
岡島:私は二十年近く番付表(※1)作りを担当してきたけど、これがまた大変。寄付してくださった方の大切な思いがあるから間違いがあっちゃいかん。神経も使ったな。
福島:そうして出来上がった番付表は自治会員が1枚1枚手折りして封筒に入れ、寄付してくれた企業や個人に届ける。一千枚以上あるからこれがまた大仕事で。
中垣:花火だけじゃなく灯籠の準備も必要。自治会OBや高寿会(※2)が、灯籠をのせる麦わら運びや台の作り方を指導してくれて貴重な戦力として働いてくれとった。
木下:みんな係を持っとるもんで当日は大変で花火なんてゆっくり見とれん。それでも終わった時の充実感は大きかったな。
岡島:たかが100回、されど100回。歴史を重ねてきた諸先輩方の力でこれだけの一大イベントに発展してきたんだから、本当にすごいことだと思うよ。

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