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自治体の皆さまへ

はばたけ 平和への思い(2)

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静岡県小山町

◆北郷中学校 小野 宇翔
1日目は、広島城の見学と被爆者の体験講話を聞きました。広島城は、原爆投下により倒壊してしまったそうですが、1958年に再建されました。市民からの再建を求める声が高かったことから、広島市民は広島城を誇りに思っていたことが分かりました。被爆体験講話では、講師の飯田さんが「怖い話になると思います」と最初に話したように、原爆の恐ろしさを強く感じました。改めて、核兵器の廃絶が世界の平和につながることが分かりました。
2日目は、平和記念公園、原爆ドーム、袋町小学校平和資料館、本川小学校平和資料館を見学しました。平和記念公園は、原爆投下後には「75年間は草木も生えない」と言われていたにもかかわらず、たくさんの樹木や草花が植えられてきれいに整備されていることから、当時の人々の平和への思いを感じました。原爆ドームでは、原爆の威力と恐ろしさを思い知らされました。投下前の写真と比べると信じられないような壊れ方で、原爆がどれほどの破壊力を持っているかが分かりました。袋町小学校には、当時の人々が壁に書いた伝言が残されていました。その内容からは、原爆がどれほどの悲劇をもたらしたのかが分かり、私たちはこの壁に残された伝言を後世に残さなければならないという使命感を感じました。
僕は今回の広島平和学習で、平和と原爆について多くのことを学びました。学んだことを皆に伝え、多くの人に平和について考える機会になってほしいと思いました。

◆小山中学校 渡邉 日茉理
私は広島へ行き、たくさんのことを学びました。特に印象に残っているのは、平和記念資料館です。
平和記念資料館では、原爆の被害を受けた様々なものが展示されていました。破けて原形をとどめていない衣類や熱線でドロドロに溶けて固まったガラスの塊など、展示物を通して被爆当時のリアルな世界が広がっていました。子供から大人まで被爆したたくさんの人の写真、手紙、手記などを見ると、当時の人たちの想いが伝わってきて、原爆の恐ろしさを肌で感じることができました。
また、被爆体験者の講話では、平和記念資料館に展示されている三輪車のエピソードや被爆直後に水を求めて川へ入っていく人々、声も出せず血まみれで歩く人々など、被爆者でなければ分からない当時の生々しい様子を聞くことができました。お話ししていただいた被爆者ご自身も、放射能の影響で家族と壁越しでの会話しかできなかったことや孤児となったことでPTSDを発症し苦しんだことなど、今の世の中では想像できないようなことで、とても衝撃を受けました。
被爆体験者の方が一番強く伝えていたことは、「核兵器の廃絶」。核兵器の廃絶なくして世界平和は実現できないということを何度も仰っていました。そのために、今私ができる「戦争・原爆の恐ろしさを伝え広める」ことをやっていきたいと思います。

◆小山中学校 小見山 直歩
僕は、被爆者の講話や平和記念資料館を見て、原爆の恐ろしさをたくさん知ることができました。
被爆者の講話は実際に体験した人の話だったので、当時の様子や恐ろしさが想像でき、聞いていてとても怖くなりました。また、原子爆弾についても、爆発時の温度や風速、放射線量などについて知ることができました。実際の温度や風速を聞いたときにはとても驚きましたし、実際に被爆された方はとても苦しい中を生き延びたんだと感じました。また講話の中で、今でも被爆当時のことを思い出し、夜中に「お母ちゃん、助けて」と叫ぶことがあると聞いて、当時の悲しみや苦しみなど今でも忘れられないのだと思いました。広島ではたくさんの人たちが被爆をし、生き残っていても親や兄弟を亡くしたり、行方不明になっていたりしたそうです。そういう人たちは、すごく苦しんだり、痛い思いをしたり、たくさん泣いたりしたんだろうと思います。
平和記念資料館では、原爆投下前と後を比較した写真や被爆した方の衣類、高熱で溶けたり変形してしまったりした生活用品が展示されていました。たった一発の原子爆弾で町が一変したり、多くの人が亡くなったり後遺症で苦しんだりしたことが分かりました。被爆者の火傷や後遺症で苦しむ姿など、自分が思っていた以上の惨劇があったことを知ることができました。
今回の平和教育生徒派遣事業に参加して、改めて原爆や平和について考えることができました。また、被爆者の講話で一番印象に残ったのは、「核兵器の廃絶が世界平和への唯一の道」という言葉です。いつの日か核兵器を廃絶し、世界が平和になるようできることに取り組みたいと思いました。

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