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漁業で栄えてきた港町 御前崎 郷土料理 ガワ(2)

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静岡県御前崎市

◆継承
▽澤入 義二(さわいり よしじ)さん
大山区・92歳
16歳のとき、祖父の代から続く「春日丸」に乗船し、漁師に。それから72年間、漁師生活を全うする。

・船上での食べ物といえばガワ
終戦後、16歳で漁師になって船に乗ったときに初めてガワを食べたっけよ。それからは船の上で食べるものといえばガワだった。祖父に作り方を教えてもらって、漁の合間に作ったね。身以外のアラだけを砕いてガワにしたこともあったっけなあ。
ガワといえば漁船の上での飲料水のようなもの。桶の中いっぱいに作ったガワを船員みんなで分け合って食べたよ。ガワには、釣ったばかりの新鮮なカツオと氷が必須。これが揃わなきゃガワじゃない。冷やせば冷やすほどおいしいだよ。陸から持ってきた日持ちする梅干しやタマネギとかをたくさん入れて、漁で空かせたお腹を満たした。海上では強い日差しが降り注ぐから、水分補給や塩分補給も兼ねてゴクゴク飲んでたよ。
昔は保冷機材がなくて、魚の鮮度を保ったまま陸に戻ってくるのが難しかったから、ガワは船の上でしか食べられなかった。少しずつ技術が発達して、家庭でもガワを食べられるようになっただよ。
漁師を引退した今も、ガワは私にとってふるさとの味だよ。

・義二さんが祖父から聞いた話や自身の記憶を頼りに、令和2年に作成した「小早船(こはやぶね)」の模型。海の神様を祭る駒形神社に奉納された。
小早船は八丁櫓(ろ)船とも呼ばれ、7~10本の櫓を船員が漕ぎ、人力だけで140キロほど離れたカツオ漁場に向かった。

※詳しくは広報紙をご覧ください。

▽松井 登(まつい のぼる)さん
上岬区・75歳
30歳で漁師の道へ。曽祖父から続く「日晴丸」の4代目として、息子の卓己さんと御前崎の漁業を守り継いでいる。

・ガワは御前崎の歴史の一つ
昔、御前崎の人間はほとんど漁業に携わっていて、まちは漁業で栄えてきた。私もそのうちの1人。昔はカツオの一本釣り漁船が20隻くらいあったけど今ではほとんどない。時代に合わせた漁業に移り変わっていくことも大事だけど、やっぱり先人の苦労と歴史は後世に残していかないといけんよ。それがあったからこそ今の御前崎があるからね。伝えていくことが私たちの使命だと思っているよ。
船上で作られ、家庭でも食べられるようになったガワも御前崎の大事な歴史の一つ。若い人には、漁業と一緒にガワも食べ継いでほしいね。

郷土料理は、その地域の産物を最大限に活かして調理され、そこに住む人たちの「ふるさとの味」として親しまれ、食べ継がれてきました。その中でガワは、船上で火や食材の使用が制限される中、効率よく塩分や水分を摂れるように考案され、徐々に家庭の味へと移り変わっていきました。ガワには御前崎の歴史も詰まっているのです。
今の日本は「飽食」の時代。飲食店やスーパー、コンビニエンスストアなどで簡単に食べ物が手に入ります。ライフスタイルの多様化や核家族の増加などにより、家庭で和食を楽しむ機会も減ってきています。日本の文化として世界に認められている「和食」の原点は、古くから食べられてきた郷土料理なのではないでしょうか。
今回の特集では、港町として栄えてきた御前崎で食べられてきた「ガワ」に焦点をあてました。好きなものを好きなときに好きなだけ食べることができる―。そんな時代だからこそ、御前崎の先人たちが守ってきた味や歴史を感じてみませんか。

撮影協力:いかり食堂

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