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〈特集〉瀬戸の宝石 うちの島5 大島(おおしま)(2)

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香川県

■「人権の島」を語り継いでもらいたい
◎大島青松園
入所者自治会副会長 野村 宏(のむらひろし)さん

1936年4月4日生まれ。高知県土佐清水市出身。1951年にハンセン病を発症し、翌年の6月に大島青松園に入所。71年もの間、大島での生活を余儀なくされた。1998年のらい予防法違憲国家賠償訴訟では、原告の一人として参加し、熊本地方裁判所で勝訴。国は控訴を断念した。現在は、島で野菜や盆栽を育てながら、大島の悲しい歴史を繰り返さないよう、語り部として次代を担う子どもたちに伝えている。

中学3年の時、太ももに黒いあざができたんよ。病院で診てもらったら「これはハンセン病じゃ」と言う。しばらくして、医者が家に来た。「今はプロミンという、ええ薬ができちょる。すぐ帰ってこれるけえ」と言うもんやから、大島の療養所に行くことにしたんよ。俺はどこか旅行に行くような気持ちやった。だから、母親が髪を振り乱して泣きながらバスを追いかけてくるのを不思議に思った。大島に来て、初めてだまされたことを知ったんや。母親が言よったことは本当やった。「もう一生、帰れん」と。

大島では軽症寮に入れられた。24畳の部屋に12人やから、1人2畳しかない。当時は入所者約700人に対して、看護師が18人しかおらず、軽症者が重病人や手足の不自由な人の部屋に行って、泊まり込みで看病させられた。美術家の田島征三さんが俺を題材にしてつくった作品の一部に、木製の便器がある。病人のための携帯トイレ。自分らがつくり、取り替えのお世話もした。ほかにも大工や豚の世話とか、いろんなことをやらされたよ。
結婚したのは、俺が20歳、妻が19歳の時。夫婦寮では21畳の部屋に4組が入れられた。お金がないけ、目隠しのカーテンも、よう買わんでね。4組が部屋の四隅に分かれて暮らした。みじめな結婚生活やったよ。やがて妻が妊娠した。そして、堕胎(だたい)させられた。もう本当にみじめでね。でも、妻がいたから二人で支え合って何とか生きてこられた。

平成10年、九州の元ハンセン病患者13人が、らい予防法違憲国家賠償訴訟を起こした。弁護団が大島に来て、協力を頼まれた。俺も、国が強制的な隔離や作業は「なかった」と言っていると知って、本当に腹が立って、原告に入ったんや。平成13年に熊本地裁で勝訴して、総理官邸前で控訴しないよう座り込みをした。結局、国は控訴を断念した。戦ってよかったな、と思うよ。
大島は、瀬戸内国際芸術祭が始まってから大勢の人が来てくれるようになった。施設見学で大島の歴史を子どもたちに話すんやけど、納骨堂に連れて行ったら、騒いでいた子どもも静かになる。彼らにも感じるものがあるんやろうな。大島で感じたことが、彼らの人生で何かの役に立ってもらえたらいいね。
毎朝、妻と一緒に散歩へ行く。納骨堂から見る景色は本当にきれいやぞ。瀬戸の島々と、高松の街並み。朝日が昇って、夕日が沈む。自分らがいなくなっても、島の景観や納骨堂は守ってもらいたいね。「人権の島」として後世に伝えてもらえたら、俺はうれしいね。

■入所者の思いをアートに込めて
◎絵本作家・美術家
田島 征三(たしませいぞう)さん

1940年、大阪府堺市生まれ。6歳の時に現在の高知県春野町に移住。多摩美術大学図案科を卒業。1969年に「ちからたろう」で第2回ブラチスラバ世界絵本原画展・金のりんご賞。講談社出版文化賞、小学館絵画賞、巌谷小波文芸賞、ENEOS児童文化賞など、受賞多数。2009年越後妻有大地の芸術祭に参加し「絵本と木の実の美術館」空間絵本を制作。2013年から瀬戸内国際芸術祭に参加し、大島で「青空水族館」「森の小径」「『Nさんの人生・大島七十年』―木製便器の部屋―」を制作。

野村宏さんと初めて出会ったのは、大島の土佐人会でした。高校の同級生に連れられて、いきなりお邪魔しましたが、とても楽しかったですね。その時、隣にいた野村さんと意気投合し、いろいろな話を聞きました。私は、それまでハンセン病患者が大島に閉じ込められていたことを全く知りませんでした。大学受験の時、何も知らずに連絡船で大島の横を通っていたかと思うと恥ずかしいですね。
瀬戸内国際芸術祭で最初に作った「青空水族館」は、大島のことを知らない人たちに分かりやすく伝えるために、人魚が泣いている様子や魚が泳ぎ出す映像を通して、入所者の強制収容の苦しみや島から逃げ出したかった思いを表現しました。
水族館を出た場所に作ったのが「森の小径」です。入所者の人たちが車いすやストレッチャーで巡ることができ、植物から生きる力をもらえるような道にしようと考えました。野村さんらから松の盆栽をいただき、それが今はすごく大きくなって、いい森になりつつあります。

「『Nさんの人生・大島七十年』―木製便器の部屋―」は、野村さんとの10年の付き合い中で聞いたことを、五つの部屋に表現した「3Dの絵本」です。野村さんには、大島で絶望して自死した友達がいて、「松の木から遺体を下ろして抱きかかえた時の、ぬくもりを忘れることができない」と話してくれたことがありました。資料だけでは分からない、地元を離れる時の様子や、当時の悲惨な生活など、野村さんが伝えたかったことを立体化しました。
私にできることは、野村さんや入所者から聞いた話を伝えること。アーティストとして、芸術の力で大島のことを伝えていきたいと思っています。大島の他の作家の作品も素晴らしいものがあります。県民の皆さんも気楽な気持ちで足を運んで、大島の豊かな自然やアートを楽しんでほしいですね。

◎「『Nさんの人生・大島七十年』―木製便器の部屋―」(2019年)
田島さんが交流を続けている同郷の入所者、野村宏さんから聞いた入所時の出来事や島での生活、結婚など、これまでの人生を五つの部屋に展示。故郷を離れる時の状況(左)、ハンセン病への差別により医師と看護師が防護服を着て土足で部屋に入った時の様子(右)などを立体絵本のように展開している。
※詳細は広報紙5ページの写真をご覧ください。

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