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たるみず歴史・文化散歩 第39回

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鹿児島県 垂水市

■別府伝吉翁の遺徳
○別府伝吉翁の人柄
水之上地区の今川原公民館の庭に別府伝吉翁の石碑と胸像が建っています。垂水小中学校道徳指導伝記資料によると、別府伝吉翁は今から200年程前の天保14年頃、馬込に生れたのちに今川原別府氏を襲名しました。別府家は江戸時代に庄屋をつとめ、伝吉翁は明治18年から明治32年まで村会議員をつとめたとされています。
また、伝吉翁は心の清い人で人々のために力を尽しどんな困難にもくじけない強い意志をもった人だったそうです。

○100年後の孫たちへ
村会議員の時、村のために山が必要と考え国有林の払い下げを願い出ようとしましたが、その山は雑木ばかりで木材になりそうな木はなく村人は皆反対しました。そこで、伝吉翁は自ら山を調査し、そこに杉やひのきを植えたら100年後の孫たちに大きな利益をもたらすと村人を説得しました。
反対していた人々も伝吉翁の熱意にうたれ、心から協力することを誓い合い、こぞって植林の仕事に取りかかりました。
今でこそ、日本の材木は価値をなくしていますが、太平洋戦争で家を焼かれ、昭和20年9月に鹿児島に上陸した枕崎台風で家を失った人々は、共有林で立派に育った杉やひのきで家を建て村の大きな収入にもなりました。
この共有林は、戦後いくつかの集落にも分けられましたが、今でも四十町歩(40ヘクタール)が現存しており、集落には山委員会があって責任をもって、植林、伐採等の仕事をしています。
胸像が建てられたのは、昭和26年で戦後の生活も大変なときで、村の人々が伝吉翁の遺徳に感謝し像を建てたことに意義があります。

石碑には次のように記銘されています。
※詳しくは本紙をご覧ください。

▽参考資料
『ふるさとの歴史(垂水市水之上編)』

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