◆70th ANNIVERSARY 久御山町は令和6年10月で70周年
久御山町は、昭和29年10月に誕生してから、今年で70年を迎えます。その間、7人の町長が久御山町の発展を担ってきました。
今号では、これまでの歴代町長を紹介します。
▽初代町長
昭和29年11月15日~昭和30年3月31日
田村義雄(たむらよしお)
佐山出身の田村義雄さんは、28歳の若さで大久保小学校長に就任し、その後、京都府副知事として戦後の京都府政の発展に尽力されました。また、日赤京都支部長として活躍されていました。
就任当時の町政への抱負として、「御牧と佐山を結ぶ道路補強、そして町道を砂利を敷いての整備、府営住宅を建設して、モデル町をめざす」と語られていました。
▽第2~3代町長
昭和30年4月30日~昭和38年4月29日
西村正作(にしむらしょうさく)
野村出身の西村正作さんが町長就任中の久御山町は赤字でした。赤字解消の手段として唯一の公用車である町長車の廃車や、一日も早く健全な町政に立て直すため、自らの減俸を町議会に申し入れました。
昭和31年12月に財政再建団体に指定されましたが、行政・財政両面にわたり、合理化・簡素化を進めた結果、昭和35年3月に指定が解除されました。
▽第4代町長
昭和38年4月30日~昭和40年12月3日
澤野平右衛門(さわのへいうえもん)
東一口出身の澤野平右衛門さんは府立農林学校を卒業し、2年間教員生活を送られ、その後、1年間兵隊として軍隊に入られていました。また、御牧村長を務められていました。
町長就任中の昭和39年〜40年には、佐山小学校と御牧小学校の給食室が完成しました。昭和40年11月に体調を崩され、任期途中ではありましたが、12月に町長を辞職されました。
▽第5~10代町長
昭和41年1月19日~昭和63年7月15日
鵜ノ口平太郎(うのくちへいたろう)
東一口出身の鵜ノ口平太郎さんは、御牧青年団長、消防団長を歴任し、昭和30年には町議会議員に当選、そして、副議長に就任されました。昭和35年からは久御山町助役として手腕を発揮されました。
町長就任中の昭和47年6月に人口1万人を突破。昭和50年には久御山中学校、東角小学校が開校されました。昭和59年からは、京都府町村会長を務められました。
▽第11~13代町長
昭和63年8月28日~平成12年8月27日
田口清(たぐちきよし)
相島出身の田口清さんは、19年5か月教諭を務められ、昭和46年10月に教育長に就任されました。
町長就任中には、京滋バイパスの一部開通や国道24号大久保バイパスの北伸部が開通されました。また、第1回ふるさとフェア久御山の開催や、「総合体育館」、「保健・福祉センター」、「ゆうホール」をオープン、そして現在の役場庁舎を建設されました。
▽第14~16代町長
平成12年8月28日~平成24年8月27日
坂本信夫(さかもとのぶお)
佐山出身の坂本信夫さんは、昭和58年4月に町議会議員に当選され、平成7年5月からは町議会議長を務められました。
町長就任時には、「いきいきホール」、「あいあいホール」、「クロスピアくみやま」など、現在の子育て世帯から高齢者までが利用できる施設を開館されました。また、商工農産業の発展をめざす施策の推進や、子育て支援、犯罪被害者等支援条例の制定に取り組まれました。
▽第17~19代町長(現町長)
平成24年8月28日~現在
信貴康孝(しんきやすたか)
佐山出身の信貴康孝町長は、平成19年4月に町議会議員に当選し、平成23年5月には議長に就任していました。
現職町長として、平成30年には町立保育所・幼稚園を認定こども園へ移行、中学校給食の開始、新市街地「みなくるタウン」構想を発表しています。
平成31年4月に同報系防災行政無線の運用を開始し、令和元年11月にくみやま夢ワター137の点灯を開始しています。
そして現在、全世代・全員活躍まちづくりセンターの整備、久御山中央公園の再整備などを進めています。
好きな食べ物:カレー、オムライス
趣味:旅行、読書、ウォーキング
座右の銘:継続は力なり
◇豆知識
▽久御山町の地名は公募で決定
久御山町という地名は、久世郡の「久」と御牧村の「御」、佐山村の「山」をとって命名された合成地名ですが、町名を決めるに当たって広く公募され、御牧村の藪内平蔵さんが応募した「久御山町」が採用され、久御山町という地名に決定されました。
▽町のシンボル町章
昭和44年10月に制定された町章は、久御山町の頭文字「久」を図案化したもので、町民の親睦と団結を太い円で表現し、産業、文化などの町勢の飛躍をはばたく鳥の姿に表現したものです。全国から440点の作品が応募され、審査の結果、大阪府の国賀恵美子さんの作品が採用されました。
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