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余市町でおこったこんな話

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北海道余市町

余市町の埋もれた歴史等を紹介し、改めて余市町を再認識するコーナーです。

~その243~『公民館』

昭和33年の余市町区会だより3月1日号に、新しい電話番号のお知らせが載りました。
役場の電話の交換機が設けられたことに伴うもので、町長室、助役席、収入役、役場の各係のほか、公益質屋などが見えます。
そのほかの電話番号を見ると町内の小中学校や衆民寮(「こんな話」その67参照)などに加えて大川公民館と西部公民館があって、教育委員会は大川公民館と兼用になっています。
区会だよりの説明では「役場交換の代表電話番号の880番を呼び出し、役場の交換手が出ましたら通話先を例へば「財務係をお願いします」「大川小学校をお願いします」とお話し下さると、交換が指定先に取りついでくれます」と電話のつなぎ方を紹介しています。
大川公民館はもともと、町内にあったカネセ清水商店さん所有の建物で大川町1丁目にありました。昭和5(1930)年に建てられて、同13年に小樽職業安定所余市出張所となった後、一時、元々の持ち主に返還された後、町の公民館として昭和22年にスタートしました。発足当初は民営でスタートしたそうで、運営の費用は町内の映画館で映画を上映した収益金をあてたようです。
館長は最初、町内の方が臨時で就任されましたが、昭和25年には町営となり、余市実科女学校の校長先生だった北村さんという方が館長になりました。館長は公民館の活動を住民に理解してもらうため、この年の11月3日の文化の日に、第一回の公民館祭りを行って、書道、生け花などの展示を行いました。
公民館が町営になった昭和22年に余市文化連盟が設立され、翌年の昭和23年1月に連盟の初仕事として成人式を開催しました。
この他、発足当初の催しとして、体力測定(成人か)や成人病の講演会を行い、定期的な活動では文芸部短歌部会が毎月の歌会を行っていて、昭和20年代末には「月刊郷土誌よいち」も発刊しました(「こんな話」その31参照)。
連盟の青野会長さんは小学校の先生に呼び掛けて余市児童文化連盟を立ち上げ、紙芝居、人形劇、童話劇、手品、音楽会などが人気で、会員は北後志のほかの町村を巡回し、好評の行事だったそうです。
公民館は昭和36年、大川町にあった旧電報電話局の庁舎を譲り受け、2年後には体育館を増築して、剣道や柔道、卓球などの練習場として利用されました。
大川公民館と文化団体の活動はだんだんと浸透して、昭和27年、沢町方面にも公民館がほしいという要望の声があがりました。翌28年1月には建設に向けた期成会が設立され、総工費が決まり、買収された敷地は町に移管され、わずかな期間で完成をみました。
舞台、観覧席、日本間、炊事室、便所からなる西部公民館は240万円余の建築費を要しましたが、そのうちのおよそ75万円は地元から寄付されたお金でした。
前述の区会だよりの「みなさまの公民館案内」を見ると、海外の絵画展示会が3月4日から8日まで催され、説明には「絵画について、町ではあまり管外の作品を見る機会に恵まれませんでしたがこの度特にアメリカ文化センターの好意によって、アメリカの画家、ウインスロー・ホーマーの「漁を終えて」など十七点の作品を展示できることとなりました」とあります。

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