皆さんは、志木市にたくさんの文化財があることをご存じでしょうか。
中でも、地中に眠る文化財は埋蔵文化財と呼ばれ、大昔の人々がどのような暮らしをしていたのか、また、どのようなできごとがあったのかを知ることができる貴重な資料です。
今月は、志木市の埋蔵文化財や発掘調査について紹介します。
■約3万年前から今日までの歴史を知らせてくれる「埋蔵文化財」
埋蔵文化財とは、住居跡や古墳などの「遺構(いこう)」、土器や石器などの「遺物(いぶつ)」のことで、これらをまとめて「遺跡(いせき)」ともいいます。
志木市にも、約3万年前から今日に至るまでの歴史が、遺跡として地中に残っています。
■志木市の「埋蔵文化財」
現在、市内には埋蔵文化財包蔵地(埋蔵文化財の存在が知られている土地)と呼ばれる遺跡が15か所あります。
遺跡の多くは志木地区にあり、市内を流れる柳瀬川や新河岸川に沿った、高い場所に分布しています。また、荒川低地の宗岡地区でも遺跡は確認されており、低地の中でも周囲よりは若干高い場所に形成されています。このことから、大昔の人々は水源に近く、水害の影響が少ない高台を住む場所として選んでいたことがわかります。このため、河川から離れている志木駅周辺などでは、遺跡は確認されていません。
なお、現在確認されている遺跡の範囲は暫定的なものであり、今後の新たな発見により、範囲が広がる可能性があります。
市内の遺跡一覧
■志木市の遺跡ヒストリー
□旧石器時代
・市内最古の石器(西原大塚遺跡)
・石焼き調理施設(礫群(れきぐん))の使用(中野遺跡)
□縄文時代
・大規模な集落が営まれる(西原大塚遺跡)
・市内に貝塚が形成される(城山貝塚、城山遺跡、新邸遺跡)
□弥生時代
・市内最古の弥生時代の住居跡(城山遺跡)
・住居跡650軒、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)35基を超える大規模な集落が営まれる(西原大塚遺跡)
□古墳時代
・古墳の周溝(しゅうこう)と思われる溝跡(田子山遺跡)(~奈良時代)
・市内最古のカマドを持つ住居跡(中道遺跡)
□奈良時代
・新羅郡(しらぎぐん)建郡頃の住居跡(城山遺跡)
□平安時代
・冨壽神寶(ふじゅしんぽう)(本紙P5)と県内唯一の銅印(本紙P4)(城山遺跡)
・宗岡地区で初となる平安時代の住居跡(上宿遺跡)
□中世
・柏の城が築城される(城山遺跡)
・馬の埋葬に使われた板碑(城山遺跡)
□近世
・野火止用水が開削される(新邸遺跡)
・鉄鍋づくりの鋳物師(いもじ)が工房を開く(城山遺跡)
■38年前から発掘調査を本格実施
市では、昭和60年から本格的な発掘調査を開始し、年間10件前後の発掘調査を行っています。
埋蔵文化財包蔵地で土木工事などが行われる際、確認調査(試験的な掘削)を事前に実施し、遺構や遺物の有無を確認します。遺構や遺物があった場合には、工事主体者と志木市教育委員会で埋蔵文化財の保存協議を行い、工事内容が埋蔵文化財に影響を及ぼすと判断されたときに発掘調査を実施しています。
■歴史を掘り起こす〜発掘調査の流れ〜
(1)表土剥ぎ
遺構や遺物に影響の少ない表面の土を重機で掘り下げて除去し、遺構が確認できる赤土(関東ローム層)の上面を出します。
(2)遺構確認
調査用の道具で慎重に赤土の上面を削り、赤土との色の違いで遺構を確認します。平面形状や規模から遺構の種類を推定します。
(3)遺構・遺物精査
土の層を観察するため、ベルト状に土を掘り残します。また、遺物がどこから出てきたか分かるよう出土した位置に残しておきます。
(4)遺構・遺物の記録
出てきた遺構や遺物の状況などを写真撮影や図化して記録します。
記録終了後、掘った土を調査区に戻します。
(5)整理作業
出てきた遺物の水洗いや接合・復元作業、実測図の作成など発掘調査の記録を整理します。
(6)報告書刊行作業
調査内容や遺物の観察記録などをまとめ、報告書を作成します。
■志木市の歴史を解き明かす〜発掘調査員募集
現在、埋蔵文化財調査員や調査補助員、作業員を募集しています。発掘調査未経験の人でも応募できますので、詳しくは、本紙10ページまたは市ホームページをご確認ください。
問合せ:生涯学習課
【電話】048-473-1134
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