この地域にあって身近に親しまれている山や、はるかに望む山々について、まつわる歴史や文化を紹介します。
■高賀山(こうかさん)
標高1224M
北西に見える高賀山は、古くより山岳修行の霊地として栄えた山で、今淵ヶ岳(いまぶちがたけ)、瓢ヶ岳(ふくべがたけ)とともに成る「高賀三山(こうかさんざん)」の一帯には、豊かな自然に囲まれた荘厳な神社仏閣が点在し、今でも祈りの地としての静かで穏やかな雰囲気を留めています。
中でも高賀山の南麓にある高賀神社は、中世には全国からたくさんの行者や参拝者が訪れた一大霊場であり、江戸時代の僧、円空(えんくう)(1632~1695年)ゆかりの場所としても有名です。全国を行脚して数々の仏像を彫りあらわした円空は、当地においても高賀山に登拝しながら造像活動を行っていたようです。円空が入定(にゅうじょう)(煩悩を捨て無我の境地に入ること)する意志を固めた最後の作とされる歓喜天(かんぎてん)像をはじめ、当時の作例は神社併設の記念館に大切に保管され、円空が納めた錫杖(しゃくじょう)や硯(すずり)などの遺品とともに展示されています。
そのうちの一つ、円空自作と思われる和歌の草稿本は、もともと経典に1枚ずつ貼られていたもので、中には円空が年末に蜂屋の地で串柿を味わったという一首もあります。
年のよの さすか蜂屋の串の柿 蜜と見まかふ甘口にして
蜂屋の広橋のお堂の中に円空作の薬師三尊像(現在は美濃加茂市民ミュージアム所蔵)が伝わっていたのは、まさにその事実を裏付けているかのようで、円空と美濃加茂の不思議な縁を感じます。この和歌は円空の経歴や信仰についての貴重な手がかりであり、千五百首を数える一つ一つにその足跡が浮かび、祈りへのひたむきな思いがにじむようです。
高賀神社の円空仏の中にはその初期の作品もあり、円空は比較的早い時期にこの山を訪れていることが指摘されています。若くしてこの山への信仰に触れたことが、生涯を通じて修験道への理解を深めた円空の祈りの根幹にあるのかもしれません。
▽参考文献
・『基礎資料円空の和歌―一六〇〇余首の全て―』(財団法人岐阜県教育文化財団歴史資料館編:1995年)
・『みのかもの円空仏(改訂版)』(美濃加茂ふるさとファイルNo.12:2006年)
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