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上三川こぼれ話 〜第16話 「得るものと失われるもの」〜

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栃木県上三川町

前話では、東北本線の開通について触れました。日本の近代化のためには鉄道の敷設(ふせつ)は必要不可欠なことであり、それによって様々な分野が発展しました。その一方で失われてしまったものもあります。

石橋駅から線路沿いに南へ700mの地点には、かつて下石橋愛宕塚古墳(しもいしばしあたごづかこふん)と呼ばれる古墳がありました。明治18(1885)年、東北本線の建設工事により墳丘(ふんきゅう)の中央部から東西に分断されてしまいます。戦後に撮影された航空写真を見ると線路によって分断された古墳がはっきりと映っています。

昭和47(1972)年の東北新幹線の建設工事により、この古墳は完全に消滅(しょうめつ)します。その際、詳細な発掘調査が行われ、全長約84m、周溝(しゅうこう)まで含めると約112mの帆立貝形(ほたてがいがた)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)であることが判明しました。死者を埋葬(まいそう)する石室(せきしつ)は、凝灰岩切石(ぎょうかいがんきりいし)を組み合わせて作られていました。

このような特徴を持つ古墳は、古墳時代の後期、6世紀の終わり頃に上三川町から栃木市までの広い範囲で作られた「下野型(しもつけがた)古墳」と呼ばれています。

東北新幹線の工事により古墳はなくなってしまいましたが、石室に使われた石材は石橋愛宕神社の境内(けいだい)に移されて保存されています。

近代化の波により失われてしまったものは数多くありますが、残そうとしてくれた人々がいることで、現代の我々が目にすることができるものもあります。私たちもいま見ている景色を次の世代に残していけるよう心掛けたいものですね。

問合せ:生涯学習課 文化係(中央公民館内)
【電話】56-3510

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