■各市町村悲願の大学誘致
4年制大学の誘致運動は、昭和32(1957)年、石城地方市町村議会議長会が誘致を決議したことに始まります。
この運動はその後も継続され、昭和41(1966)年10月にいわき市が発足した後の昭和46(1971)年10月、「いわき市大学誘致期成同盟会」が結成され、次いで、同年12月には市議会において4年制大学(理科系を想定)の誘致促進が決議されると、その誘致場所としていわきニュータウンへの誘致がクローズアップされていきました。
さらに、いわきニュータウン構想の中に、高等学校、中学校などとともに高等教育施設(大学)が具体的な立地場所として位置づけされました。
背景には、若者が進学・就職のために市外へ流出したこと、市が県内最大の工業都市であったこと、4年制の大学がなかったことなどがありました。いわきニュータウンの起工に前後して、昭和53(1978)年には市議会に「市議会大学誘致特別委員会」が設けられ、次いで昭和55(1980)年には市がいわきニュータウン内に大学用地約34ヘクタールを取得し、受け入れ態勢が決まりました。
敷地を確保して受け入れ態勢を整えた市は大学の誘致を進め、この結果、東京都に本校を持つ「明星学苑」の進出が決まり、昭和62(1987)年4月に「いわき明星大学」(現・医療創生大学)として開校しました。
(いわき地域学會 小宅幸一)
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