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≪連載特集≫開拓120周年(2)

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北海道新得町

◆開拓者の足跡(1)
村山とともに測量を成し遂げた2人の開拓先駆者ー今野勘七と玉川悦喜ー
本町開拓の歴史を語る上で欠かせないのが、村山とともに原野調査を行った今野勘七と玉川悦喜の存在です。
この2人は開拓の陣頭指揮をとった村山に比べて歴史の表舞台に出ることは少ないですが、紛れもなく本町の礎を築いた開拓先駆者でありました。
今野勘七は開拓地測量を終えた後に関山へ戻り、学校教員や村会議員などを歴任。82歳でその生涯を終えました。なお、玉川悦喜についてはその後の詳細は不明となっています。

◆開拓者の足跡(2)
原野開拓のプロローグ
開拓の苦労も去ることながら、山形からシントク原野に至る道程も容易なものではありませんでした。原野調査、第一陣・第二陣入植のいずれも行程は異なりますが、ここでは第二陣入植者が歩んだ道程を記します。
一行がシントク原野に到着した際には前年に移住していた一人が大声で仲間の到着を叫び、喜びの出迎えをしたといいます。

・仙台から汽車で青森へ
・青森から船で室蘭へ上陸
・室蘭から貨物列車で旭川へ移動し、コメやみそを買い建設列車で上富良野へ
・上富良野からは荷物を背負い、下富良野ー金山ー落合と歩いて野宿を重ね、パンケシントク駅逓所に到着。さらに暗闇の中を6号線まで下った。

◆開拓者の足跡(3)
村山和十郎は新得へ入植していなかった?
本町の開拓先駆者として知られる村山和十郎ですが、実は村山自身が入植したのは人舞村ペケレベツ(現清水町)でした。
そのため、第一陣入植者として伝えられている13戸の中に村山の文字はありません。
しかし、先陣を切ってシントク原野に足を踏み入れて測量を完遂し、山形の住民を新天地へといざない、彼らをまとめ上げて入植を成功させた村山の業績は本町開拓の祖として歴史に刻まれてしかるべきものでありました。
なお、開拓者をたたえる碑には「開拓先駆者」として村山と13戸の入植者の名前が刻まれています。

●今なお残る入植当時の面影 町内最古の建造物「村形邸」
最初の入植者である村形三吉が明治37〜38年頃に建築したものといわれています。基礎や屋根の変更、増築など一部手が加えられているものの、内部の柱や小屋組(屋根を支える骨組み)、襖や帯戸などには建築当時の構造、建具が残っています。
また、屋根の上にある背の低い「煙出し」は東北地方に多く見られる造りで、本町開拓の歴史を語る貴重な建築物です。

わたしたち新得町民は、町の礎を築き上げた先人たちの労苦に敬意を表すると同時に、その開拓魂を受け継ぎ、未来を切り開いていかなければなりません。
次号の連載〜開拓120周年特集では、新得町の発展に大きく貢献した3人の名誉町民をその業績とともに紹介します。

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