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≪連載特集≫開拓120周年(1)

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北海道新得町

新得町の歴史は、明治32年に山形県高崎村大字関山(現東根市)の一行13戸がシントク原野に入植したのが始まりです。
原野の開発に挑み、様々な困難の果てに本町の礎を築いた先人たち。
連載特集「開拓120周年」と題し、今号では開拓当時を振り返ります。

※以下、敬称略

●村山 和十郎(1841〜1909)
村山は山形県高崎村大字関山で生まれました。関山村戸長、関山郵便局長、初代高崎村長を務め、地域の発展のために尽力しました。
特に山形県から宮城県へ抜ける新道の開削を巡っては、かの三島通庸(みちつね)山形県令(現県知事)や各村長を説得し、関山新道(現国道48号の前身)を実現させた影の立役者として知られています。この新道の開通により関山は交通の要所として栄えました。
後に国鉄奥羽北線(現奥羽本線)の建設計画が持ち上がり、輸送で生計を立てていた多くの人々の生活に打撃を与えることが危惧されました。その打開策を検討する場で村山は、北海道へ集団移住することを主張。自らが先頭に立ってシントク原野への移住計画を進め、本町開拓の祖として歴史に名を刻みました。
村山自身は次男の貫一とともに人舞村ペケレベツ(現清水町)に入植し、初代人舞村郵便局長に就任。新天地でも大いに活躍しましたが、脳溢血で倒れ、激動の人生に幕を下ろしました。

●新得町開拓当時の年表
▽明治19(1886)年
・北海道庁が設置され、植民地の選定と植民地区画の測設を実施。新得町は、パンケシントク原野(以下シントク原野)、サホロ原野、クッタルシ原野の3原野が選定される。

▽明治30(1897)年
・村山和十郎、今野勘七、玉川悦喜の3人がシントク原野へ調査に訪れる。帰路の途中、道庁に国有未開地貸付請願(申請)を提出する。

▽明治31(1898)年
・村山、今野、玉川の3人が再びシントク原野を訪れ、測量を完了させる。
・貸付許可書が道庁から交付される。

▽明治32(1899)年≪新得町開拓の年!≫
・入植者13戸が移住者第一陣として山形を発ち、シントク原野に入地。大部分は一度帰郷する。

▽明治33年(1990)年
・移住者第二陣約100人が入地。

〜以降、ほかの原野にも各地からの入植が進んでいく。

◆新天地を求めて
明治30年と31年、村山は入植を進めるため測量掛の今野勘七、雇人の玉川悦喜を伴って北海道に渡り、アイヌ民族の案内のもと数カ所の原野調査を行いました。
この調査はいずれも4月から9月までの5カ月間に及ぶもので、掘っ立て小屋での不自由な生活に加え、食料不足と作業の困難さは日を追って増していきました。村山らは同行したアイヌが採った山菜や川魚、ウサギなどを食べて飢えをしのいでいたといわれています。
そのような過酷な環境にも屈することなく、3人は幾多の困難を乗り越えて測量を成し遂げました。この原野調査により本町開拓の道筋が付けられました。

◆原野開拓に挑んだ13戸の入植者
明治32(1989)年4月、村山の募集に応じた小作人13戸が山形を発ちました。
シントク原野に到着した一行が目にしたのは、太陽を遮り昼でも暗いほどに生い茂るナラ、カシワなどの巨木と身の丈を超えるイバラ、スゲなどの下草で、想像を超える大自然にぼう然としたといいます。
当時の開墾は焼き畑が主流で、原野に火を放ち自然鎮火を待って焼け跡を耕しましたが、作業はかなりの重労働でした。また、冬の寒さは今以上であったといわれ、掘っ立て小屋のような粗末な家では醤油や酒、布団の襟元も凍るような厳しい開拓生活でした。
中でも開拓者を一番苦しめたのがブヨで、日中でも群がり作業がはかどらず、火を灯した縄を腰から下げて作業をしたといいます。
開拓者たちは道庁から貸し付けを受けた国有未開地の6割以上を開墾できたときは、この土地の無償払い下げを受けることができましたが、開墾できない場合は土地を返還しなければならず、道庁による開墾成功検査の合格率は50%に満たなかったといわれています。

開墾が始まったとされる南新得には「発祥の地公園」があります。この公園には平成11年に開拓100周年を記念して「開拓者をたたえる碑」が建立されました。碑には開拓先駆者14戸の名前が刻まれ、右のレリーフには、大自然にぼう然としながらも開墾に取り掛かる先人たちの姿が描かれています。

-開拓先駆者14戸-
・村山和十郎
・村形三吉
・後藤藤次郎
・柴田久作
・佐藤房吉
・高橋元治
・岡田長蔵
・高橋菊次郎
・原田熊五郎
・早坂政蔵
・岡田吉蔵
・清野惣右衛門
・椎名鶴五郎
・石山善六

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