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『爺(ジイ)ジの思い出』第8回 広報レポーター 岩﨑芳伸さん

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山口県上関町

今回は、お寺の住職さんと世間話した時の話題と、中学の恩師、松岡先生が瀬戸内海の歴史等について、総合文化センターで講演してくれた時の内容に、四代の言い伝えを重ね、現地に行ってみたことをレポートします。

住職さんと世間話をしている時、住職さんに「四代という地名の由来は?」「どうして付けられたのですか?」との質問を受けました。私は、歴史に疎く、分からなかったのですが、中学の同級生が教えてくれました。
その由来とは、戸津・上関・白井田・蒲井の四地区の代表として、「上関宰判御番所御勘場」が置かれ、「四地区の代表」が「四代」の地名になったようです。後に御番所は上関に移ったとのことです。
松岡先生の講演で、瀬戸内海には、村上水軍、海賊がおり、四国方面からは、「人さらい」が来て、村を襲っていました。村人は、山に逃げ隠れて生活。その痕跡が「屋敷(やしき)の山」で出ています。
また、その隣の「遠見(とおみ)の山」では、山頂に石積みの見張り台(縦2m、横2m、高さ2.5m)があります。平郡、八島、先は四国、伊予灘が一望できる見晴らしの良い所です。海賊、人さらいを発見したら、のろしや旗を上げ、村人に知らせた光景が目に浮かびます。
今も見張り台は残っていますが、周りの木々が10mを超す大木と変身し、遠くの景色が展望できなくなっています。

最後に今回一番楽しみにしていた「海賊の洞穴」と言われている洞窟を見学したことについてです。50年前の見学以来になります。
その時の記憶として、大きな洞窟の穴に、1m四方の石が3つ並んでおり、表面は平らでした。ここに食べ物が並び、テーブルとして使用していたのでしょう。ここで生活し、伊予灘、周防灘を渡る船を見張り、仲間に合図し、船を襲う。そのような島ではなかったのでしょうか?
今年の2月に入り、胸をワクワクさせながら島を訪れました。 天田島、宇和島に続く沖合いに「ホオジロ島」があり、この島に洞窟があります。洞窟は、海抜4m、中は約15畳の広さ、天井まで4m。
島に上陸し、勇んで洞窟に入ったのですが、様子は激変していました。
中は、大小、石ころで埋まっており、台風で海が荒れた際に石が打ち上げられたのだと思います。テーブルの石も2個確認しましたが、元の位置より移動、一番大きなテーブルを探したのですが、確認できませんでした。残念!
今回、遠見の見張り台、ホオジロ島の洞窟訪問は、大きな期待を寄せていましたが、過ぎ去りし、50年の歳月を痛感したレポートでした。
(手入れ、再現!出来たらなぁ!)

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