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【連載】随想町長の見て歩き(110)

13/21

山形県飯豊町

「もう一人の自分」

あれは学生時代、校舎近くの歩道を歩く一人の人物が目に飛び込んできた。当時のNHK人気アナウンサー下重暁子さんだ。テレビに出る著名人などは珍しく、目を奪われていた。一緒に歩いていた友達が「おい後藤、サインを貰って来いよ」なもらどとたき付ける。意を決して、「あのー、下重暁子さんではないですか。サインをいただけませんか」。そしたら彼女は困惑した表情で「ここでは私は一学生です。サインですか」と考え込んだ。しかし、差し出したノートに書いてくれたのである。そこにはこうあった。「もう一人のあなたに下重暁子」と。きっとこんな心境だったに違いない。「ブラウン管に出ている私と今学生として教室に向かう私はまた違う素顔の自分がある、分かってほしい、あなたにだって別の素顔の自分があるはずです。それを大事にしなくては」との胸の内である。後に彼女は作家、評論家として大活躍することになる。なかなかの人物であり、その方の気持ちに配慮するに至らなかった未熟な自分を反省した。

大人の社会では、ちょっと無理をしてでも立場で発言しなければならなかったり、年齢に相応しい立ち振ふさわる舞いというものがあったりする。しかし、それが自分の本心や本来の姿とあまりにかけ離れているようでは何とも情けない。年輪は慈愛と人格を育むのであり、人格は教養に裏付けられるものである。静まり返った夕暮の自宅に一人佇むとき、ああ自分は一体何者であるか、今日の言動はあるべき姿に適うものだったのかなだろうかと、もう一人の自分と向き合うときがあるのである。正義の味方「月光仮面」だったら覆面の姿に変えて悪に立ち向かう。そんな勧善懲悪のドラマなら分かり易い。現実はどうか。建て前は立派やすでも、本音では、楽か辛いか、損か得かの判断が先に立つ。それも分からないではない。しかしそれだけの世の中であってはならない。日々の喧騒の中で隠れていたもう一人の自けんそう分が語りかけてくる。思い起こそう、私たちにとって、人と人との絆がいきずなかに大切なものであったか。「三月十一日」がまたやってきた。

後藤幸平

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