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今はむかし(その329)

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東京都狛江市

■昭和49年 多摩川の水害 多摩川堤防決壊記録より
昭和49年9月1日、台風16号で前日から降り続いた雨が多摩川の水位を上昇させ流れが速かった。特に上流部に雨が多かったため小河内ダムが貯水限界量を超えやむなく放水を開始した。
午前8時ごろ、河川敷にある多摩川緑地公園グランドやテニスコートの施設撤去を開始。市役所では巡視班を編成し、警戒態勢に入る。そして午前10時ごろ、根川、猪方の2水門を閉鎖し、排水ポンプを配置、土嚢のうを運ぶなど水防活動を開始した。
午後になっても増水が続き、水が宿河原堰で遮(さえぎ)られるため小堤防の先端が崩れ始め、本堤防の方向に押し寄せてきた。そこで本堤防上に土嚢積みなど水防活動を始めたが、午後4時ごろには水位は堤防の上端まで上がり、作業は危険になった。
午後5時25分、多摩川の状況がテレビで報道され全国の親類・知人から安否の電話が殺到し電話がかかりにくくなったり、道路の渋滞が激しくなった。
午後6時ごろ、本堤防決壊の恐れが出てきたので避難命令が出て第二中学校に大勢の人が集まってきた。人影が見られない雨上がりの畑道で広報車が避難を呼び掛けていた。
日が暮れた頃、消防庁、警視庁機動隊が到着。報道陣も詰め掛け、自衛隊も到着した。
午後9時45分、本堤防が長さ5mにわたって決壊。濁流が宅地の下の部分をえぐり取り、午後10時45分N家の物置を飲み込んだ。そして2日午前0時を過ぎ民家が倒壊し流失が始まった。その後も家屋の流出は続き、3日までに19戸が流出。29世帯、90人が被害を受けている。
2日午前11時30分、堰堤の爆破が決まり爆破地点から1km以内に避難命令が出て、小田急線も一時運行を停止した。午後2時37分に爆破を行ったが流れは変わらず、むしろ周辺の民家のモルタルが崩れたり、ガラスが割れるなど被害が大きかった。
3日午前1時、消波ブロックを静岡県等から持ってきて投入したが水流の強さで流された。
3日になっても民家の流出は続いたが水位が下がったので市職員、警視庁隊で流出物調査班を編成、下流各区には家財を発見した場合は転送してくれるように要請したが回収されたものはほとんどが泥まみれで破損がひどく使い物にならなかった。
3日午後4時30分、建設省によって爆破を再開する。小規模で数回に分けて行ったので避難の必要はなかったが市民1人が負傷し一時中止。4日午前10時30分、別の場所で再開。午後8時の6回目の爆破で破壊口ができて水が流れ始め、民地への流れは弱まった。
5日になって水防作業のめどがつくようになり、6日には小堤防閉め切り作業も完了。正午に避難命令が解除された。

井上孝
(狛江市文化財専門委員)

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