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今はむかし(その332)

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東京都狛江市

■石造品から見る明治時代の信仰と生活
明治時代の狛江は一面が田畑で覆われた農村社会だったので、少しでも良い収穫を願うとともに村人同士のつながりが重視されていた。残された石碑を見ても、榛名神社、三峰神社、御岳神社など農業神を敬慕するもの、講の組織の上に立ったものが多く江戸時代の延長であった。
西野川の八幡神社には明治41年に建てられた「榛名、三峰神社石祠」があって、正面に「代参講中」、右・裏・左に「世話人」36人の氏名が記されている。榛名神社は雹(ひょう)除けの神であったし、個々の作物の豊凶を占うこともできた。また、三峰神社は火防(ひぶ)せ、盗難除け、農耕の神として信仰していた。
岩戸南の八幡神社には明治45年に建てられた「御岳山石祠」があって、碑面には「御岳山講社中」とある。御岳神社は五穀豊穣(ほうじょう)の神として、また、盗難除けの神として信仰されていた。
代参講のやり方は地域や神社により多少の違いはあるが、多くの場合費用は講員みんなで等分に出し合い、時には麦や米を持ち寄り売ったお金を資金にすることもあった。
行く人は、毎回籤引(くじび)きで数名が選ばれるが、一度行った者は全員が行き終わるまで籤引きから外して平等にした。
出発は、田に水を入れてから田植えまでの農閑期である4月末から5月上旬の間が多く、初夏の日差しを受け、日頃の労働の疲れも忘れて楽しみながら目的地に向かった。
現地に着くと、御師(おし)の家に立ち寄り、御師の先導で神社に参拝する。そして、護摩をたいて、御祓(おはら)いを受け、御札をもらう。特に榛名神社では、作物の吉凶(きっきょう)を占ってもらった。そして、その夜は御師の家に泊まる。
翌日家に帰ると、講員の家を回り、お札を配る。あとは自分の家の神棚に祀(まつ)るほか、門口(家の入口)に貼ったり、竹竿を割(さ)いて挟んで畑に立てたりして一連の行事は終わった。また、出発、帰村の時には講員みんなが集まって飲食をともにしながら決めごとや農作物について語り合った。
残された石碑から当時の農村の生活を垣間見ることができる。
この他庚申講(こうしんこう)というのもあった。60日目に廻めぐってくる庚申の日の夜、人体に潜(ひそ)む三尸(さんし)という虫が睡眠中に人体から抜け出して天帝のところに行き、その人の罪過(ざいか)を告げることにより人の寿命が決まるという道教の教えから、庚申の夜はみんなで集まり、酒食をともにして世間話や農作物について語り合って夜を明かした。これも親睦を深めるための行事でもあった。その碑が和泉本町一丁目の「松原庚申堂」に建てられていて、碑面には「青面金剛像」と「鬼」が刻まれている。明治10年代に建てられたものである。

井上孝
(狛江市文化財専門委員)

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