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壷中雑記(19)―歴史文化博物館から―

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滋賀県愛荘町

■毛入堂遺跡―謎多き集落遺跡―
愛荘町には数多くの集落遺跡が存在します。金属加工場や住居跡などの遺跡の性格は、遺構や遺物によって判明することがあります。しかし、出土した遺構や遺物がかみ合わずどのような遺跡なのか分かりづらい集落遺跡も存在します。そのような遺跡である毛入堂遺跡について紹介します。

▽毛入堂遺跡とは
毛入堂遺跡は蚊野の小字毛入堂に所在する、古墳時代後半から中世まで存続していた集落跡です。宇曽川の左岸に位置し、宇曽川によって形成された扇状地と、斧磨・岩倉から続く扇状地の交叉点付近にあたる湧水地帯に立地します。遺跡の規模は、直径約300mの約70000平方メートルの円形だと推定されています。南西には軽野塔ノ塚廃寺、狩野遺跡があり、北には東出南遺跡、南には軽野正境遺跡が存在します。
この一帯は、愛知郡蚊野郷であり、東大寺の所領となっています。
また、蚊野付近は愛知郡を本拠地とした愛智秦氏と肩をならべる蚊野氏の本拠地と考えられています。

▽遺構について
1980年に行われた発掘調査では、複数の掘立柱建物跡が検出されました。一部は古墳時代後期の倉庫的建物の可能性が指摘されています。そのほか、南北に流れていたとみられる河川跡が見つかっています。この河川は鎌倉時代頃にはある程度の流れを持っていたと考えられています。その川跡の西域から古墳時代後期から奈良時代の集落遺構群、東域から鎌倉時代以降の集落を想わせる遺構群が見つかっています。
1984年の発掘調査でも川跡が見つかっています。飛鳥時代頃の遺物が出土しています。この川はほ場整備以前の旧地形図にその痕跡が認められており、規模が小規模になりながらも近年まで存在していたことがわかります。

▽出土品について
出土遺物は須恵器、土師器、瓦片、用途不明木製品などがあります。そのほとんどが遺構から出土したものではありません。瓦片は奈良時代頃の遺構から出土しており、近くの軽野遺跡・軽野塔ノ塚廃寺との関係を指摘する材料となっています。
毛入堂遺跡出土の遺物の中には石仏があります。倒立状態で包含層から出土したため、年代は定かではありません。この石仏は花崗岩製の板碑で、頭部の髪形及び手先の印相が上品上生印に見えることから、阿弥陀仏だと考えられています。
毛入堂遺跡は河川跡や石仏といった特徴的な遺構や遺物が出土していますが、その性格は謎が多く残る遺跡です。今後も様々な調査が期待される遺跡といえます。

歴史文化博物館学芸員 山本剛史

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