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歴史は未来の羅針盤 温故知新

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滋賀県日野町

日野歴史探訪 はじまります
私たちの住む日野町には、52の大字があり、それぞれの地域が豊かな自然と歴史文化でいろどられています。
温故知新では、町内各大字の歴史と代表的な文化財をシリーズで紹介していきます。

◆石原
日野町の西部、日野川と支流の出雲川(いずもがわ)の合流部付近に位置しており、北は東近江市と接しています。また、集落東側の水田地帯には、中世は「市道(いちみち)」などと称し、後世は「御代参街道(ごだいさんかいどう)」と称された道が南北に通っており、石原にはその宿場が設けられていました。

◆石原のあけぼの
石原一帯に人々の営みが見られ始めるのは、今から約2千年前の弥生時代の終わり頃のことです。昭和59年以降に集落の東側に広がる水田地帯で行われた宮ノ前遺跡(みやのまえいせき)の発掘調査で、様々な形の土器が出土しています。これまでの調査では、弥生時代の明確な建物跡は見つかっていませんがこの遺跡は、東近江市の外広遺跡(そとひろいせき)まで続く広大なもので、そこでは方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)など多くの遺構が見つかっています。

◆水神(すいじん)へのまつりのあと
宮ノ前遺跡は、奈良時代も一般的な集落が広がっていたと考えられていますが、様々な特殊な遺構や遺物が見つかっています。
まず特筆されるのは、5世紀中頃から6世紀と考えられる沼跡から見つかった約四百点に及ぶ木器類です。農具や漁撈具(ぎょろうぐ)、容器、建築部材など多種多様なものですが、中でも刀形(かたながたや)剣形(けんがた)、鏃形(ぞくがた)といった形代(かたしろ)と言われる祭祀具(さいしぐ)が見つかったことは、農耕や生活に重要な水の神様への祭祀を示すものと考えられています。

◆和同開珎(わどうかいちん)…百枚の埋蔵銭(まいぞうせん)
さらに、8世紀と考えられる遺構から、土師器(はじき)の甕(かめ)に納められた百枚もの「和同開珎」が見つかりました。和同開珎とは、和銅(わどう)元年(708年)に発行された銅銭(どうせん)です。当時その価値は、1枚(1文)が1日の労働の対価とされており、平城京造営(へいじょうきょうぞうえい)の費用などにも使われましたが、その他の大きな目的としては銭貨(せんか)自体を全国へ流通させることでした。
宮ノ前遺跡の和同開珎は、百枚が数珠(じゅず)つなぎとなった「さし銭」の状態で見つかりましたが、周囲の状況から墓などへの供献(きょうけん)とは考えられません。また、溝跡から一般的な集落跡から見つかる例の少ない、円面硯(えんめんけん)や瓦片(かわらへん)も見つかったことから、付近に役所的なものや、官人など有力者の居宅などがあり、その一角に埋納されたされたものと考えられています。
『続日本記(しょくにほんき)』には、和銅4年(711年)10月に多くの銭貨を貯蓄した者に対して、量に応じて位を授ける「蓄銭叙位法(ちくせんじょいほう)」が定められ、翌月4日の条(じょう)には実際に位が授けられたことが記されています。宮ノ前遺跡に和同開珎百枚を貯めた人物とは、いったいどのような人物だったのでしょう。蓄銭叙位法によって位を授けられたのでしょうか。中央政権との関わりがあったのでしょうか。あるいは他にも銭貨が眠っているのでしょうか。こうした多くの謎を秘めた遺跡が石原地区には残っているのです。

問合せ:
近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」 【電話】0748-52-0008
近江日野商人館 【電話】0748-52-0007

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