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<特集>伊達の韋駄天 三浦弥平(1)

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福島県伊達市

今から約100年前、福島県初のオリンピック選手が伊達市から誕生したことをご存知でしょうか。その選手の名は三浦弥平。東京2020オリンピック・パラリンピックの開催を翌年に控えた今、彼のマラソン人生、そしてスポーツ文化の発展に情熱を燃やし続けた生涯を振り返ります。

■弥平のマラソン人生を振り返る
意外にも幼少時は病弱だった弥平。しかし、病弱だった彼はやがて世界を舞台に活躍します。帰郷後、母校早稲田大学の講師の誘いを断り、故郷のスポーツ振興や青少年の健全育成に尽力しました。

◇弥平の原点、そして世界
弥平は1891(明治24)年4月に伊達郡白根村(現伊達市梁川町白根)に生まれました。
幼い頃から病弱で、刈田郡立刈田中学校(現宮城県立白石高等学校)在学時に6カ月休学しました。このとき、運動の必要性を痛感し、病気を克服して強い体にしようと走る練習を続け、マラソンランナーとしての基礎を築いていきます。
1915(大正4)年、早稲田大学政治経済学科に入学した弥平は競走部に入部。1920(大正9)年2月には第1回箱根駅伝大会に出場し、難所の箱根山登りを任されました。卒業後、オリンピックアントワープ大会の出場をかけた予選会を勝ち抜き、金栗四三(NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公)らとともにオリンピック出場の切符を手に入れました。

◇2度のオリンピック出場
1920年8月14日、アントワープ大会が開幕。マラソンは8月22日に行われ、弥平は2時間59分37秒、24位でゴールテープを切ります。大会後、弥平は帰国する日本選手団と別れ、留学のためにドイツに赴きました。
ベルリン大学で経済学を専攻した後、ドイツ体育大学で体育学を学びました。そして、ドイツ国内の大会で好成績を収め、1924年のオリンピックパリ大会の出場選手として選抜されます。
パリ大会のマラソンは7月23日に行われ、スタンドには満員の観衆が詰めかけました。しかし、この日は高温に見舞われ途中棄権者が続出。弥平も痛めていた足の痛みが激しくなり、棄権となりました。

◇スポーツを通して人をつくる
1928(昭和3)年に帰国すると、東北の農村や故郷の貧しい現状の改善に尽力しようと、白根村に帰郷。自身の体験から、スポーツを通した青少年育成に向けて動き出します。
青少年の総合スポーツ施設「オリンピック村」の建設をはじめ、自宅を「白根体育公民館」として開放したり、地元の青少年らと「白根体育クラブ」を結成したりと、精力的に活動しました。体育公民館には、アントワープ大会のポスターや、体育、文学の図書が並び、地元の青年たちが弥平と交流しました。農繁期には地域の子どもたちを集めて保育所を開設するなど、地域の拠点でもありました。
1964(昭和39)年の東京オリンピックでは、全国を巡っての「オリンピック東京誘致運動」が認められ、開会式に招待される栄誉を得ました。

◇弥平の功績
1971(昭和46)年に永眠するまで、弥平は青少年の育成とスポーツ振興に心血を注ぎました。
彼の功績は、スポーツ選手として優秀だったということだけに留まりません。弥平は人をつくり、地域をつくり、たくさんの人と強い絆を結びました。そして、その絆は現代にも引き継がれています。

◆伊達市にも東京オリンピック(1964)の名残が!
東京オリンピック(1964)のメイン会場であり、開会式と閉会式が行われた国立競技場。
保原総合公園内にある、ほばら大泉の球場の観覧ベンチは、当時のものではありませんが、平成26年に国立競技場から移設したものです。

◆年表
1891・伊達郡白根村字木ノ田の蚕種製造を行う農家に生まれる
1898・白根村立白根尋常小学校に入学
1902・梁川町立梁川尋常高等小学校に入学
1907・刈田郡立刈田中学校(白石市)に入学
1915・早稲田大学政治経済学科に入学。競走部に入部
1919
・第1回関東インターカレッジ25マイル(約40km)走で優勝
・第7回日本選手権大会25マイル走で優勝
1920
・第1回箱根駅伝大会で往路山登り区間(5区)を走る(早稲田大学は3位)
第7回オリンピックアントワープ大会開催
福島県初のオリンピック選手として出場。成績は24位
※同大会には、金栗四三ら4選手がマラソン(42・750km)に出場
1921・ドイツに留学。ベルリン大学で経済学を専攻
1923・ドイツ体育大学に入学
1924
第8回オリンピックパリ大会開催
マラソン(42・195km)と1万メートル競走に出場。成績はどちらも棄権。
※マラソンには、三浦弥平、金栗四三、田代菊之助の3選手が出場するものの、全員棄権
1928・ドイツ留学から帰国。地元の青年らと宮城県境に青少年の総合スポーツ施設「オリンピック村」の建設を目指す
1932・オリンピック村として、バンガロー、広場、スキー場などを建設
1938・日中戦争の影響で、1940東京オリンピックの開催権を返上
1942・満州建国10周年とスポーツ親善を目的に「東京・新京間親善マラソン」を実施
1971・80歳で永眠。白根字高田の墓地に眠る
1980・第1回三浦弥平杯梁川ロードレース大会開催

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