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古河歴史見聞録

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茨城県古河市

古河市における弥生時代~発掘調査などから見えてきた姿とは~
今回は、市内で実施された発掘調査の結果も踏まえながら、弥生時代について紹介していきます。

■弥生時代とは
関東地方では、2300年前ごろから1700年前ごろまでの約600年間を弥生時代と呼んでいます。この時代の土器は、形や文様などを基準にして、約200年ごとに前期・中期・後期の3時期に細分することができます。
皆さんは、弥生時代というとどのようなイメージを持つでしょうか。歴史の教科書などでは、稲作が新しく伝わることで農耕が始まり、それに併せて青銅や鉄でできた道具が使われるようになったと説明されています。そのため、縄文時代と全く異なった生活が始まったと思われがちです。しかし、このような説明は、静岡県の登呂遺跡などの発掘調査での成果を元に考えられたイメージなのです。
各地で発掘調査が進んでいくと、特に関東地方より以北で縄文を文様に使った弥生土器が使われていたことが分かり、それまでの生活に新しい弥生の文化を取り入れながら生活していたと考えられています。

■市内での様相
現在、市内で確認されている400カ所を超える遺跡のうち、弥生時代のものは約30カ所確認されています。
弥生時代の遺跡の中で最も古い痕跡は中期後半になってからのものです。牧野地にあるラントウ裏遺跡から、この時期の土器片が採集されたことが古河市史で紹介されています。この土器は、付けられた文様の特徴から、須和田式(すわだしき)土器と呼ばれる須和田遺跡(千葉県市川市)を標式とする南関東に分布する土器とみられます。
本格的な発掘調査が行われておらず、資料も限られるため、具体的な様相は不明です。しかし、近隣での発掘調査の事例から、この土器は再葬墓と呼ばれる墓に関わる土器である可能性が高いと考えられています。
続いて確認できるのは、後期終わりごろのものです。市内で確認されている弥生時代の遺跡のほとんどはこの時期に属します。
この時期のもので発掘調査が行われた遺跡の中に、久能西原遺跡があります。この遺跡は、土地区画整理事業に伴い発掘調査が行われました。その結果、竪穴建物跡2棟が確認され、小規模な集落が営まれていたことが確認されています。竪穴建物跡からは、二軒屋式(にけんやしき)土器と呼ばれる栃木県に分布する土器が出土しています。また、市内の遺跡から出土した土器もこの型式が多くを占めています。
このことから、古河市域における人の移動や土器などの文化が伝わるルートは、南関東からと栃木県からの2つあったと推測されています。また、時期によって人の生活や文化などの影響を受ける地域が異なっていたことも併せて想像することができます。
古河市周辺における弥生時代の状況は、調査事例が限られていることもあり、稲作等の農耕が行われていたかなどの詳細は不明なことが多いとされています。そのため、今後の発掘調査の積み重ねにより明らかになっていくことを期待したいと思います。

生涯学習課学芸員 大久保芳紀

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