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想いを石に刻む〜高遠石工の歩いた道〜

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長野県伊那市

■Vol.14 「庚申の石碑ってなに?(前編)」
大きく「庚申」と書かれた道端にある石碑を気に留めていない人も多いのではないでしょうか。庚申信仰は、江戸時代に独特な発展を遂げた民間信仰で大変盛んに行われました。
昔の暦は十干・十二支を組み合せて日は60日、年は60年で一回りするもので、それを干支と呼びました。現在でも60歳で還暦というのは暦が一周したという意味ですし、大正13年甲子(きのえ・ね)の年に完成した野球場が甲子園球場と名付けられたのも干支の名残です。
60日で巡る庚申の夜は、体内から三尸という虫が這い出してその人の悪事を天帝に報告し、寿命が縮まると信じられていました。そのため、その夜は一人だと眠ってしまい三尸が抜け出すので、大勢で寝ずに明かす庚申待という行事も盛んに行われました。
また、60年に一度の庚申(かのえ・さる)の年は、人心が冷たくなり良くない出来事があるとされ、それを防ぐために庚申の年には盛んに石碑を建てて祀りました。今も各所に多く残る石碑がそれを物語ります。
この庚申信仰も大正期になると全国的には急速に廃れ始め、前回の庚申(昭和55年)に石碑を建てない所もあったようです。しかし、伊那市では昭和55年と刻まれた庚申塔が数多く建てられています。次回は2040年ですが、果たして庚申塔は建てられるのでしょうか。
※「後編」は、市報いな10月号に掲載します。

問合せ:観光課

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