文字サイズ
自治体の皆さまへ

共生社会の実現に向けて 〜障がいのある人もない人も、ともに安心して暮らせるまちへ〜

1/42

東京都多摩市

【多摩市ゆかりのパラリンピアン 土田選手と黒田選手からのメッセージ】

◆パラリンピックで感じた社会の変化。未来への想(おも)い。
多摩市ゆかりのパラリンピアンである土田選手と黒田選手に、東京2020パラリンピック競技大会を終えた感想や、共生社会の実現に向けた想いをお聞きしました。

◇土田和歌子(つちだ わかこ)選手
1974年、東京都出身。
日本人初の冬季・夏季両方のパラリンピック金メダリスト。通算8度目のパラリンピック出場となる今大会では車いすマラソン4位入賞、パラトライアスロン9位。

Q.オリンピックの開会式で聖火ランナーとして大役を務められました。
A.パラリンピック選手として、オリンピックの開会式で初めての聖火ランナーということで非常に責任を感じましたが、パラリンピックの多様性などを伝えられたと思っています。

Q.車いすマラソンとパラトライアスロンの両立は大変だったのでは。
A.新しいことへの挑戦ということで不安もありましたが、さまざまなサポートがあったからこそ、スタートラインに立て、フィニッシュラインを越えられたと思っています。メダルの獲得には至らず悔しさはありますが、競技の魅力を伝えられたことや、全力を出し切れたことは満足しています。

Q.海外と比べ、日常生活でバリアを感じることはありますか。
A.飲食店で段差が少しある場合などに海外ではちょっとしたサポートや工夫があることが多いと感じます。コミュニケーションが大事で、気軽に声をかけていただくことが一番だと思います。ただ、日本もパラリンピックをきっかけに、良い意味で変わってきていると思います。

Q.パラリンピックを通して、どのようなことを感じましたか。
A.今回のパラリンピックを通じて、人々の意識が大きく変化していくことを感じました。これがパラリンピックの意義だと感じます。このことがより住みやすい、笑顔で暮らせる共生社会の実現に直結していくのだと感じます。

Q.市民の皆さんへメッセージをお願いします。
A.多くの方にパラリンピックを観戦、応援していただくことが本当に力になりました。今後も、パラリンピック競技の魅力を伝えられる選手でありたいと思いますので、引き続き応援をよろしくお願いします。

◇黒田智成(くろだ ともなり)選手
1978年、熊本県出身。
長年にわたりブラインドサッカー日本代表のエースとして活躍。パラリンピック初出場の今大会では通算3ゴールを記録し、チームを5位に導く。

Q.多摩市に住むことを決めたきっかけはありますか。
A.日本で初めてのブラインドサッカーの全国大会が、平成15年に多摩市で開かれました。その縁で多摩市に住み、ずっとパラリンピック出場を目標にトレーニングを重ねてきました。今回、夢の舞台でプレーできたことは幸せな時間でした。

Q.最終戦ではチームを5位に導く劇的な決勝ゴールを決めました。
A.この競技の魅力は、選手でも驚くような奇跡の瞬間が訪れることです。あの時は空中でボールの音がしたので、軌道をイメージして右足を振り抜いた結果、ゴールを決めることができました。これまで支えてくださった全ての方が導いてくれたゴールだと思います。

Q.パラリンピック前後において、日常生活の中で変化はありましたか。
A.パラリンピック後に「お手伝いしましょうか」などの声をかけていただくことが増えました。これが大切なレガシーだと思います。心の通い合うような声かけがまち全体に広がると嬉しいです。

Q.共生社会の実現に向け、今後どのような取り組みがあると良いと感じますか。
A.ブラインドサッカーは、共生社会を表していると言われます。それは、誰もが活躍できるルールや環境があり、障がいの有無にかかわらず、ともに全力を出してプレーできるからです。今後、そうした考え方のもと、色々な取り組みが行われると良いと感じます。

Q.市民の皆さんへメッセージをお願いします。
A.身近で困っている方を見かけたら声をかけていただけると嬉しいです。心の温かさが伝わって、みんなが安心して生活できる社会につながります。また、ブラインドサッカーを見ていただき、その迫力や魅力を感じていただけると嬉しいです。

※対談の様子はYouTube多摩市公式チャンネルで配信しています。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU