最近、市内のあちこちでバイオリンの音色が聴こえてきます。人々はその美しい音色に酔いしれ、幸せな時間(とき)を過ごします。
そんなバイオリンの音色であふれるまちの始まりは、何なのでしょうか。今回の特集では、大府とバイオリンの縁について、ひもときます。
■First Movement 第一楽章
〇「大府とバイオリンの深い関わり」
明治期に日本で初めてバイオリンの量産化に成功した鈴木バイオリン製造(株)は、昭和10年、大府に分工場を構えました。
創業者・鈴木政吉は、分工場に隣接する研究所で、バイオリンの音色の研究に没頭していました。
そして、現在。
大府の地から誕生したバイオリニストは、ある者は世界の舞台で観衆を魅了し続け、ある者は大府をイメージした曲を生み出しました。
これは偶然なのか、それとも必然なのか。
過去から現在に続く五線譜の上で、一つ一つ奏でられていたバイオリンの音が、今、鮮やかな音色を響かせようとしています。
◆和製バイオリンのパイオニア
日本人で最初の世界的に知られるバイオリン製作者である鈴木政吉。その職人人生は、明治20年、初めて見たバイオリンに魅了されてから幕を開けます。
政吉は初めて見たバイオリンを参考に、見よう見まねで自作のバイオリン第1号を完成させます。その後も製作を続け、その物珍しさから注文も舞い込み、同年、名古屋市に鈴木バイオリン会社を創業します。
◆念願の大量生産のはじまり
明治23年、本格的にバイオリン製作を始めた政吉。製作したバイオリンは、シカゴ万国博覧会(写真左・本紙参照)など、国内外の博覧会で数々の賞を受賞し、国際的に高い評価を受けます。
明治33年には、バイオリン頭部の自動削り機を考案・完成。さらに2年後には、甲削機(バイオリンの表板と裏板に丸みを持たせる加工をする機械)を発明します。
この発明を機に、念願であったバイオリンの大量生産を開始。政吉は、大正時代には従業員千人を抱え、毎日500本ものバイオリンを生産する世界的楽器メーカーへと成長させます。
◆バイオリン製作に生涯を捧げる
しかし、世界恐慌や外国製の安価な楽器の登場などの影響を受け、徐々に経営が悪化。昭和16年に、政吉の長男である梅雄が社長に就任し、会社再建を図ります。
梅雄はドイツの楽器生産の村「マルクノイキルヘン」に倣い、バイオリンの里を実現するため、現在の横根町名高山に分工場を新設。分工場の隣には、バイオリンの音色の研究をするための済韻研究所も建てられ、政吉はここで、バイオリン製作に一生を捧げます。
昭和19年、政吉は大府に築こうとした「バイオリンの里」への思いを持ったまま、84歳で生涯の幕を閉じました。
◆大府へと受け継がれた情熱
鈴木バイオリン製造(株)は、大府市へ本社を移転するための費用をクラウドファンディングで調達し、令和3年に名古屋市から大府市へと本社を移転しました。
新社屋には、スズキ・メソードの教室が入り、子どもたちがバイオリンの腕を磨いています。また、バイオリンの裾野を広げるため、職人が市内の小・中学校に出向き、楽器職人の仕事を紹介しているほか、工房見学・製作体験を受け入れるなど地道に活動を続けています。
◆鈴木政吉の胸像の帰還
鈴木政吉の功績をたたえ、昭和15年に胸像が建立されました。当初は横根町の分工場内にありましたが、戦禍を免れるため、昭和20年に大府を離れました。
令和3年、本社が大府市に移転したことをきっかけに、鈴木バイオリン製造(株)から市に寄贈され、76年ぶりに大府に帰ってきました。
参考文献:鈴木バイオリン製造(株)ウェブサイト
〇Interview
大部分が手作業 職人の技術が光る楽器 城阪英功さん
20年間、バイオリンの製作に携わっていますが、今でも難しいと感じます。材料となる木は生き物なので、同じ物は存在しません。そこをいかに工夫して美しい音が出せるようにするか、一つ一つの材料と向き合いながら製作しています。さらに、バイオリンは芸術性の高い楽器です。特に、バイオリン表面のf字孔は、匠(たくみ)の技が求められます。鉛筆で線を引いてから削りますが、線通りに削ればいいという単純なものではありません。鉛筆の線は、あくまでも目安。最終的には、職人の経験と目で納得できるよう仕上げます。バイオリンは、いかにこだわりを持って作るかがとても大切です。
◆Second Movement 第二楽章
〇響き渡る美しい音色
大府みどり公園の雄大な自然の中で行われた野外クラシックコンサート。
室内のホールで行うコンサートとは打って変わって、明るい秋空に、美しいバイオリンの音色が伸びやかに響き渡りました。
日本では見慣れないこの光景も、弦楽器の本場ドイツでは、鑑賞ツアーが組まれるほど、人気の催しの一つ。
緑に囲まれて最高の音楽を聴くという体験は、訪れた観客にとって、夢のようなひとときになりました。
今、大府では、バイオリンを活用したまちづくりが進んでいます。
日本のバイオリン王・鈴木政吉はかつて、大府の地をドイツのマルクノイキルヘンに倣い、「日本の『バイオリンの里』にしたい」と夢見ていました。
政吉の胸像が76年の時を経て、大府に帰還したことを契機に、政吉が描いた「バイオリンの里」が今、大府で築かれようとしています。
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