文化 那須の歴史再発見!

◆那須町の地域文化遺産 vol.3
今回は、大同開拓農業協同組合と「開拓碑」について紹介します。
大同開拓農業協同組合は、元満洲開拓民である上の台開拓組合と桜ヶ丘開拓組合が合併してできた組合です。
上の台開拓組合の方々の多くは、満蒙開拓青少年義勇軍として現在の中国・黒竜江省に赴いた凌雲義勇隊開拓団出身者と、地元入植者で組織されていました。昭和21年、元凌雲義勇隊開拓団長である佐藤修が、白河の中央開拓基地農場長に就任すると元団員や基地農場で訓練を受けた那須村出身の入植者らが、翌22年秋に当時の那須村に入植し、開拓を開始しました。
また桜ヶ丘開拓組合の方々は、昭和の初めに東京府深川にあった失業者用簡易宿泊所「天照園」を経営していた小坂凡庸が、「天照園」宿泊者らを東京市の後援で満州・通遼県(現内モンゴル自治区)へ移民させたことに始まります。天照園移民と呼ばれた方々は、その後一裸樹開拓団を組織しました。戦後団員の方々は、東京聖蹟桜ヶ丘の旧陸軍火薬工場跡に入植し桜ヶ丘開拓組合を組織しましたが、占領軍に土地を接収されたため、那須村・山梨子地区に昭和22年9月に再入植しました。入植後は東京都による生活費・農具等の援助もありました。
しかし昭和26年になると、東京都の援助打切りや開拓資金の先細りもあったため、両組合は合併し、大同開拓農業協同組合が誕生しました。「大同」の由来は、「大同団結」からきています。入植当初は、ジャガイモ、サツマイモ、大豆などを育てましたが、昭和27・28年の冷害により、畑作から開田によるコメづくりへの転換や乳牛の導入、四ツ川を利用した水力発電所建設などが行われました。昭和39年にはりんどう湖が完成し、より一層開田が進みました。
大同集落センターには、昭和61年に建立された開拓碑、同63年に建立され、牛・鶏・馬・豚が彫刻された畜魂碑があります。また、大同開拓の記念誌も町立図書館にありますので、ぜひお読みください。

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