■伊賀で最古の年貢割付状(わりつけじょう)
昨年、江戸時代に庄屋や組合頭(くみあいがしら)(大庄屋の補佐役)を務めた古山界外の中村家から、1000点を超える襖(ふすま)の下張り文書が見つかりました。紙が貴重であった時代、襖や屏風(びょうぶ)を仕立てる際には、不要になった文書を再利用し、貼り重ねて補強しました。これを下張り文書といいます。
中村家の下張り文書からは年貢に関する資料が見つかっています。江戸時代の年貢は、村を単位として賦課・徴収されました。毎年10月から11月にかけて、年貢率や、納期などを記した年貢割付状(免状(めんじょう)、免札(めんさつ))が藩から庄屋・年寄ら村役人に宛てて出されます。これを受け村役人は、各村人の所持高に応じて年貢の割り振りを行いました。村が年貢を納めると、藩から村に宛てて領収書にあたる年貢請取通(うけとりかよい)が出されました。
中村家の下張り文書には、これまでに確認されていない江戸時代前期の割付状と請取通が含まれており、中でも正保3(1646)年の割付状は伊賀国内で最古のものです。
正保3年の割付状には、差出人である郡(こおり)奉行・加判(かはん)奉行の署名とともに花押(かおう)(図案化された署名)が据えられています。これまでに確認されている割付状には印鑑が使用されており、花押の使用が江戸時代前期の武家社会においても少なくなる中で、非常に珍しいものとなっています。
また藤堂藩の割付状は料紙を横長に切断して貼り継いだ切継紙(きりつぎがみ)が多く用いられているのに対し、正保3年から延宝4(1676)年までの割付状には料紙を切断せずに貼り継いだ竪継紙(たてつぎがみ)が用いられています。
このような様式や形態の変化は、藩の政策が影響したものと考えられます。今回見つかった資料は藩の年貢政策について検証する上で重要な資料となるものです。
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