■新たに国登録有形文化財へ 旧国鉄名松(めいしょう)線 伊勢奥津(おきつ)駅給水塔
国の文化審議会は、令和6年7月19日に開催された文化財分科会での審議を経て、新たに国の登録文化財とすべき建造物について、文部科学大臣に答申しました。この中には、JR名松線の終着駅である伊勢奥津駅の隣に残る給水塔も含まれています。今回の歴史散歩は、新たに国登録有形文化財となる給水塔の歴史を紹介します。
現在のJR名松線は、松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ路線となっていますが、当初は奈良県の桜井市と松阪市を結ぶ「桜松(おうしょう)線」として計画されました。途中、名張市と松阪市を結ぶ路線として計画が変更されたことで「名松線」と呼ばれることとなりました。昭和4(1929)年に松阪駅から権現前駅までの約7kmが開業し、翌年には権現前駅から井関駅間が、さらに昭和6(1931)年には井関駅から家城駅までが延伸し、段階的に整備されていきました。そして、昭和10(1935)年に、家城駅から伊勢奥津駅間の約18kmが開業し、現在の名松線の路線が完成しました。当時、運行に使用されていた蒸気機関車への給水のため設けられた設備が今回、国登録有形文化財となる伊勢奥津駅の給水塔です。
給水塔の高さは約9.5mで、鉄筋コンクリート製の4本の柱の上に、金属製の貯水タンクが設置されています。タンクの直径は3.1m、高さ2mで、上部には八角形の屋根が固定されています。貯水タンクには水位計も取り付けられており、タンクの中の水位が分かるようになっています。
開業当時の伊勢奥津駅は今よりも広く、この給水塔の隣にも線路が敷かれており、給水塔の横に蒸気機関車を止め、タンクから伸びたパイプを使用して蒸気機関車に給水していました。
かつて全国各地の駅に設置されていた給水塔は、蒸気機関車に代わりディーゼル機関車や電車などが導入されたことに伴って、その役割を終え撤去されていきましたが、伊勢奥津駅給水塔は、昭和40(1965)年にディーゼル機関車が導入された後もそのままの姿で残されました。
現在、金属製の貯水タンクを備えた鉄道用の給水塔は、全国でも数例しか残っておらず、国登録有形文化財に登録されているものは鳥取県の若桜(わかさ)鉄道若桜駅の給水塔だけです。伊勢奥津駅前の給水塔も、地域のランドマークであるとともに、日本の鉄道史上、価値が高く重要な工作物と評価されています。
秋の行楽シーズン、名松線に乗って伊勢奥津駅を訪ねてみてはいかがでしょうか。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。
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