赤木城跡の主郭虎口(こぐち)が、現在の姿に復元されてから30年近く経(た)とうとしています。近年、書籍や雑誌で赤木城跡が取り上げられる際は、主郭虎口付近の写真が多く使われることもあり、赤木城の象徴としてよく知られるようになりました。
『虎口』とは、城の出入り口のことです。守りのためには小型のものが望ましいことから小さな口の意味で『小口』でしたが、出撃して攻勢に出るということから、虎が敵に食いつく様子を意味する『虎口』の字をあてるようになったと言われています。
赤木城は、築城当時の石垣の状態をよく残していることが評価されている史跡です。しかし、整備に着手する以前、主郭虎口の石垣は、著しく崩落していました。調査にあたった専門家の中には「1615年『一国一城令』が出された際、城にとって最も重要な主郭虎口の一部分を崩し、これを以って『破城』としたのではないか。」との見解もありました。
平成7年に発掘調査、翌年に整備工事が行われ、地元の方々も作業に協力していただきました。重機が入れず、作業は全て人の手によるものとなりました。桜の木を伐採し、大きな根っこを掘り起こし、破城以来400年の間に積もった腐葉土を取り除いていくと、100個近い石垣の崩落石が姿を現しました。
その後、全ての石に番号を書き入れ、石の転落状況を記録しました。それを基に、『この位置に落ちていた石は、この石垣のこの辺り』というように石垣を復元していきました。崩れていない石と積み直した石との間には、所々に鉛板を挟み込んで復元ラインを示しました。赤木城跡を訪れた際には、石と石の間にある鉛板を確かめてみてください。
調査では、さらに大きな発見がありました。虎口中央部で門の礎石が見つかり、本柱2本と前後に控えのある『四脚門』だと考えられました。保存のため、礎石そのものは埋め戻しましたが、その上に疑似石を置くことで、礎石の位置を示しています。
自然石をそのまま利用した野面乱層積(のづららんそうづみ)、石垣の角を支える算木積(さんぎづ)み、通路を左右に折り曲げた複雑な桝形など、丹念な発掘調査と保存整備を経て、赤木城跡の主郭虎口は、見事に復元されました。その端正な姿は遠景でもはっきりと望むことができます。
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