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あなたはどれだけ知ってる? 藤堂高虎(とうどうたかとら) vol.12

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三重県熊野市

赤木城主郭の南西角からほぼ真南に延びる尾根があります。かつては、うっそうとした杉林に覆われ、まさか石垣を持つ郭(くるわ)が隠れているなど想像もできないような光景でした。ここは『西郭(にしかく)』と名付けられ、平成8年に調査が始められました。その調査結果から特徴的なものをご紹介します。
《最上段は盛土》約21m×7mの大きな平面です。地形調査では、郭の北端から4.5mほどで地山が潜り込んでいるため、西郭は大規模な盛土によって造られたことが分かります。東から南面にかけては野面積(のづらづ)みの石垣が残っていますが、西面が横矢掛り部分を残してその先から大きく崩れていたのは、盛土形成のためだと思われます。
《礎石建物2棟を確認》郭全面に母屋と小屋が並んで建っていた跡があります。それぞれの規模は、母屋が約8m×4m、小屋が約4m×3mですが、何のために建てられ、どのように使われていたかは不明です。ただし、郭の西側が崩れていたので、この建物はさらに1.8mほど西に延びていた可能性もあります。また、ここからは16世紀中期の『天目茶碗』が一つ出土しています。
《謎の四角い穴》郭の北西隅で発見されたもので、1m×1.4m・深さ1.3m、底に粘土質の土がはられ、四方を石積みで囲われた方形遺構です。何かを貯蔵するために造られた『室(むろ)』ではないかとも考えられますが、何のために造られたのか、礎石建物との関連はあるのか等々、その謎は現在も解明されていないままです。
赤木城には、今なお多くの秘密が残されています。それも歴史的な魅力の一つなのかもしれません。

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