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京丹後市の文化財/古代丹後のロマンを探る(2)

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京都府京丹後市

京丹後市の文化財/古代丹後のロマンを探る(2)
湯舟坂(ゆぶねさか)2号墳の被葬者像を探る

■出土品から浮かび上がる有力者の姿
久美浜町須田にある湯舟坂2号墳(以下、湯舟坂)は、古墳時代後期(6世紀後半)に築かれた円墳で、黄金に輝く大刀「金銅装双龍環頭大刀(こんどうそうそうりゅうかんとうたち)」を含む多くの出土品が国の重要文化財に指定されるなど、丹後を代表する古墳の一つです。その湯舟坂をはじめとする周辺の文化遺産について、市教育委員会と京都府立大学文学部考古学研究室、地元区が共同で行っている研究事業(京都府立大学ACTR(アクター)湯舟坂2号墳プロジェクト)の第3回成果報告会「地域資源としての湯舟坂2号墳」が7月1日、久美浜庁舎で開催されました。
今回は「湯舟坂2号墳の被葬者像を探る」をテーマとして、かつてこの地に栄えたとされる丹後王国の時代から、古墳時代後期の湯舟坂に至るまでの川上地域の首長の動向を、畿内中央・川上地域の両側面から見つめ直し、出土品からその被葬者の数や性格などについての研究成果を報告しました。
その中で注目されたのが、湯舟坂が築造された6世紀後半に熊野郡に設置されていたという部民「私部(きさいべ)」の郷(私里(きさいのさと))がどこにあったかという点。これが湯舟坂の被葬者像を探る大きな手掛かりになるだろうと考えられています。また、湯舟坂の土器は4つ以上のグループに分類され、耳環(じかん)(耳飾り)は5セット確認されていることから、少なくとも4・5人が埋葬されていた可能性が高く、さらに湯舟坂が但馬から川上谷へとつながる交通の要衝であった伯耆谷(ほうきだに)に位置していることから、被葬者は畿内と関係性を持ちながらこの地を押さえた有力者であったかも知れません。
いずれにしても、湯舟坂の被葬者像にはまだまだ謎が多く、今後さらなる調査研究が期待されます。

問合せ:文化財保存活用課
【電話】0772-69-0640

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