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自治体の皆さまへ

まいづる元気人vol.105

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京都府舞鶴市

■視覚障害者 交流の場を
NPO法人「視覚障害者支援ネット・チームまなざし」理事長 神田昌胤(まさつぐ)さん

40歳の頃に難病の「ベーチェット病」を発症し、視力を失った神田昌胤さん。自宅に引きこもっていた時期もあったが、逆境を乗り越え、視覚障害者の支援活動に精力的に取り組んでいる。「目が見えなくなった今の方が幸せ」76歳を迎えた今、そう言い切る神田さんに、これまでの歩みや活動に懸ける思いを聞いた。

◇農園を交流の場へ
JR真倉駅から国道を500メートルほど南に進むと、山の麓に「まなざし農園」と書かれた看板が現れる。視覚障害者の支援を行っているNPO法人「視覚障害者支援ネット・チームまなざし」が管理する10アールの畑で、会員が育てたダイコンやカブなどの野菜が、青々とした葉を茂らせている。
12月上旬に畑を訪ねると、白杖(はくじょう)を持った男性や、付き添いに腕を引かれた女性ら12人が集まり、土をなでてその感触を確かめたり、掘り起こした野菜の匂いを嗅いだりしながら、収穫作業に精を出していた。
コロナ禍で、目の不自由な人がますます閉じこもりがちになる中「農作業を通じて、障害を抱えている人が楽しみながら交流できる場を作りたい」と、当事者でもある神田さんらが2021年9月、同法人を設立。以来、農作業に限らず、タンデム自転車(※)の体験会や料理教室などにも活動を広げ、現在はサポート会員も含め、50人を超えるメンバーがいる。

◇40歳で発症 全盲に
神田さんが初めて目に違和感を覚えたのは40歳の頃。目の前を飛び回るハエを追い払おうとしたが、いつまでも黒い点が消えず、徐々に視界が暗くなった。半年後、市内の病院で難病の「ベーチェット病」と診断され、京都や大阪市内の専門病院にも足を運んだが、医師から「申し訳ないけど、回復は諦めてください」と告げられた。24歳で立ち上げた会社がようやく軌道に乗り、忙しく立ち回っていたさなかのこと。50代前半で全盲になると、長男に会社を任せ、自宅に引きこもった。
再び外へ出るきっかけとなったのは、福祉をテーマにしたラジオ番組から聞こえてきた励ましの言葉だった。まずは一歩外へ踏み出してみようと促され「悪いことをしたわけじゃない。障害をさらしたっていいじゃないか」と気持ちが楽になった。その後は、目の不自由な人向けの生活用具について、障害者福祉施設を訪ねて情報を集めたり、水泳やボッチャなどの障害者スポーツの普及活動に取り組んだりと、あちこちを飛び回った。

◇「楽しみたい」が活動の源
新型コロナウイルス感染症の流行でこれまで通りの活動ができなくなっても、状況を逆手に取った新たな発想で前へ進んだ。視覚障害のある人が自宅にこもりがちな日々が続く中「農作業なら、人との距離を保ちながら交流ができる」と思いつき、仲間集めや農地探しに奔走。1年がたった頃、仲間の知り合いから借りた真倉の農地に拠点を構え、活動をスタートさせた。
失明して変わったのは、周りを頼れるようになったこと。助けが必要だからこそ、人との縁が深まり、みんなで楽しむことに喜びを感じるようになった。次の目標は、視覚障害者の生活を切り取った映画を作ることだ。「次々アイデアが浮かんじゃう。みんなで楽しみたくてね」そう瞳の奥を輝かせた。

※サドルとペダルが前後に2か所あり、2人でこいで進む自転車のこと。ハンドルとブレーキは前の人が操作し、後ろはペダルをこぐだけでよいため、目が不自由な人でも乗ることができる

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