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語り継がれる 舞鶴の民話(1)

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京都府舞鶴市

先祖が大切にしてきた教えや道徳、価値観を織り交ぜながら語り継がれてきた民話。そんな地域ごとの特色を持つ民話が、舞鶴にもたくさんあることをご存じですか。
今回は、市内の各地域に残る民話の一部を紹介します。

第一話 二ツ橋(ふたつばし)(倉谷・大内)
現在、車道の4車線化などが進む二ツ橋交差点付近。伊佐津川に架かり、倉谷地区と大内地区をつなぐ二ツ橋にはこんな話があります。
昔、まだこの辺りが田んぼだった頃、余内から田辺の方へ行くにはこの橋を通らなければなりませんでした。ある日、余内村の人が田辺でお祝い事があり、月夜の中、お土産を持って帰路に就いていました。するとおかしなことに伊佐津川に2つ橋が架かっているではありませんか。道を間違えたわけでもありません。しかし村人は「良い橋ができたものだ」とほろ酔い加減で橋を渡ろうとします。すると「ズザー」と橋が下がり、村人は川岸から下へ落ちてしまいました。お土産はしっかり持っていましたが、村人はそのまま眠ってしまいました。
翌朝、はっと気が付いて起きると腰が痛く、着物も泥だらけ。知り合いにこの事を話すと「キツネにやられましたね」と。この話は広まり、余内の人たちは着物の袖に石を入れ、橋が2つ見えたら石を投げることにしました。「コンッ」と音がする方が本当の橋で、音がしない方はキツネ夫婦の橋だといわれています。これは近くに住むキツネの仕業で、ごちそうをお供えしない人は特にだまされるそうです。

第二話 池ヶ首(いけがくび)(岡安・安岡)
朝来岡安の北、登尾方面へ越える峠の中ほどに「蛇ヶ池」という大きな池があり、大蛇が住んでいました。そのころ泉源寺には、両親に大切に育てられている美しい娘がおり、夜になると娘の部屋を訪ねてくる若者がいました。娘のことを心配した両親はある夜、そっと若者の袴(はかま)に長い糸を縫い付け、若者の素性を調べようとします。翌朝、父親がその糸をたどると、なんと蛇ヶ池まで続いていました。若者の正体は蛇ヶ池の主の大蛇だったのです。
そういえば娘は近頃食事もとらず、目に見えて痩せ細ってきたと悲しむ両親は、村人たちと大蛇退治を決行します。池のそばで太鼓をたたき、大きな石を投げ込み、池を抜け出した大蛇を村人たちは松明(たいまつ)とくわを振り上げ追います。途中、村人6人が大蛇に飲み込まれましたが、弓が上手な若者によって、ついに大蛇を退治することに成功しました。
現在も祀(まつ)られている白屋(しろや)の六地蔵は、大蛇に飲み込まれた6人を哀れんで作られたとか。また、若者が大蛇を射止めた所は「安岡小字蛇死(じゃじ)」の地名として残っており、蛇ヶ池のあったところは「岡安小字池ヶ首」で、現在は青葉山ろく公園になっています。

第三話 うの森(もり)さん(南田辺)
明倫小学校に残る藩校「明倫館」の門の前に「鸕鷀(うのもり)神社(うの森さん)」があります。ここには、マムシよけの砂があることでも知られています。
昔、藁葺(わらぶき)商として暮らしていた権兵衛という男がいました。ある朝、野道を歩いていると、足に何かが引っかかりました。足元を見るとなんと蛇が巻き付いています。ゆっくり歩きましたが蛇は離れようとしません。仕方なくうの森さんまで歩くことにして、うの森さんで改めて蛇を見ると、巻き付いていたのはなんとマムシでした。つかむこともできず、試しに地面の砂をかけてみると足から離れていきます。不思議に思い、もう一度砂をかけるとマムシは急いでうの森さんから出ていきました。
この話がどこからか伝わり、うの森さんの砂を家の周りにまくとマムシが寄り付かず、身に付けているとマムシにかまれることがないといわれるようになりました。

担当:広報広聴課

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