■「人のために在(あ)る農家」に
生島明さん(28)
≪Profile≫
生島明さん(28)
福岡県出身、箱川下分地区在住。幼少期は農家の祖父が運転する軽トラに憧れていた。学生時代は強豪校でラグビーに打ち込んだ。国内外のさまざまな農場で経験を積み、2024年3月に「MEISHO FARM」を立ち上げて、農作物の生産、流通などを行っている。
経営作目:米・多品目野菜(ナス・トウガラシ・春菊・レタス・カボチャ他)
「どうすれば人のために在(あ)ることができるか」。自身を"社会起農家"と称し、農業を通じた社会貢献に挑む生島明さん(28)=箱川下分=は、そう自問し続けている。
◇祖父母の姿に憧れて
福岡県の都市部に住んでいた幼少期は、田んぼが広がる吉野ヶ里町の祖父母宅へ遊びに行くのがいつも楽しみだったという生島さん。大型の農機は幼い瞳に格好良く映り、それを操る祖父母の姿に憧れた。「農業に携わりたい」という思いが芽生えたのはこの頃だった。
大学で経営学を専攻する傍ら、自分なりの農業との関わり方を模索するため農家を訪ね始めた。休みが来るたび九州各地の気になる農場へと出向き、ボランティアをしながら農家の生き方を学ぶ日々。1年間休学して向かった農業大国・ニュージーランドでは、6軒の農場で有機農法に触れた。
◇日本と海外をつなぎたい
大学卒業後は、「日本の農業と海外をつなぎ、産業全体を盛り上げる人材になろう」と意気込み、輸出を扱うベンチャー企業に入社。しかし、自身が理想とする社会的企業の役割と、現実の仕事との隔たりを感じた生島さんは、自ら農家となって理想を実現する覚悟を決めた。
父・敬二さんには、「普通に農業をするなら止めてほしい」と反対された。それでも、「農業を通じて広く世界に貢献したい」と思いを伝えると、その熱意をくみ、今では応援してくれているという。
「農業を語るにはまず生産を知ろう」と農業法人で基礎を学んだ後、県の海外研修支援を受け、アメリカで1年半のプログラムに参加。多品目栽培などの農地実習、現地大学での意見交換などで視野を広げた。
◇若手農家の壁
昨年3月、祖父母の農地を受け継いで就農した。天候に左右される農業は苦労も多い。病気や害虫などもひとたび発生すれば、初心者には手いっぱいだ。「いつ野菜が全滅するかと、常にすごく怖いですよ。このぬぐいきれない不安が若手農家の"壁"かもしれない」と生島さん。その分、結果が出せた時の喜びはひとしおだという。
新米農家だからこそ、分からないことはひたすら知恵を借りる。大学時代から国内外問わず築いた人脈や、祖父母が紡いだ地域の人々とのつながりが、今、生島さんの力になっているという。
◇届くまでをデザインしたい
大学やベンチャー企業で培った知識を生かし、独自の販路開拓にも挑戦している。自ら袋詰めした野菜を市場に持ち込み、1円で競りにかけられる苦い経験も味わった。売る技術は、中間業者などのプロたちに頭を下げて学ぶしかない。商品の見せ方、うたい文句、収穫後の温度管理などのノウハウを、一つずつ自分のものにしていった。
最近では、レストランなどとも直接取引を始め、事業を拡大。「消費者の手元に届くまでをデザインしたい」と、手探りを続ける。
◇理想実現を見据えて
世界各国の農家とのつながり、販路開拓。この先に見据えるものは、当初から目指す理想、「人のために在(あ)る農家」としての社会貢献だ。生産、販売を手掛ける多忙さの中、規格外商品のフードバンクへの提供のほか、出身校の寮と提携し、スポーツに励む高校生たちに安心安全な野菜を届けるプロジェクトも進めている。今後は農家や事業者らと共にフードロスをなくすシステムを構築し、「将来的にはいろいろな国の飢餓問題にも取り組みたい」と夢を膨らませる。
さまざまな農家と出会ったが、「『農業者はかっこいい』という考えは昔から全く変わらない」という生島さん。いつか憧れた祖父母の姿を胸に、世界に羽ばたく日を夢見る。
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