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鳥栖市市制施行70周年記念特集『鳥栖市の歩み』(2)

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佐賀県鳥栖市

1964(昭和39年)〜1973(昭和48年)
昭和29年4月1日に、鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村の2町3村が合併して鳥栖市が発足。令和6年4月1日で市制施行70周年を迎えました。『市報とす』では、数回に分けて、当時の広報紙で鳥栖市の歩みを振り返ります。

■第108号[昭和39年3月1日発行]
交通安全を呼びかける記事。昭和年代後半から年代にかけて市内での乗用車の普及が爆発的に進み、市内の交通量も激増。市内で1カ月だけで4人が事故死するなど交通事故も増え、市報でも交通事故の実例紹介や『夜は白っぽい服装で』など交通安全が呼び掛けられました。
また、児童の約半数が、市内でも特に交通量の多い国道3号(1日約2万台)を横断しなければ通学できなかった基里小学校前には、1967(昭和42)年に念願の歩道橋が完成。この歩道橋は市内で初、県内でも二番目に架けられたものでした。

■第139号[昭和41年11月10日発行]
1966(昭和41)年11月に完成した九千部山の展望台。市内の多くの学校の校歌に登場し、市民に親しまれている『九千部』は、1964(昭和39)年に頂上にテレビ中継基地ができたほか、同年11月に鳥獣保護区に指定されました。展望台建設は『自然公園化計画』の初年度事業として実施され、付近約4ヘクタールはその後、市が国から借り受けた国設キャンプ場になり、駐車場や炊飯所なども設けられました。
また、『朝日山』の展望台は、1973(昭和48)年に完成。1969(昭和44)年度から4年かけて、園路や階段、こどもの遊び場などの公園整備が進められ、現在のような姿になりました。

■第188号[昭和45年8月1日発行]
河内ダムで開催される花火大会の案内。1963(昭和38)年の設計から7年をかけて、1970(昭和45)年に河内ダムが完成し、同年6月に竣工式が行われました。夏の風物詩として市民に親しまれていた鳥栖青年会議所主催の『市民花火大会』は、3年目を迎えたこの年から河内ダムで開催されることに。花火の前には市内のバンドグループによる演奏合戦もあり、当日は西鉄バスが鳥栖駅前から無料のシャトルバスを運行され、賑わいました

■第197号[昭和45年12月15日発行]
市内でできた農産物などの即売会。農業経営の安定と生活水準の向上を図るため、1968(昭和43)年4月に設立された『鳥栖基山農業協同組合』の広場で開かれ、当時市内で生産が盛んだったみかんやお茶、しいたけ、玉ねぎ、卵などの食料品が多数出品。また、庭造りが流行っており、庭木だけでなく、鑑賞用の鯉や庭石も出品され、人気を呼びました。

■第229号[昭和47年4月15日発行]
新しくなった本通り商店街の一部。本通筋商店街協同組合が、1971(昭和46)年から商店の近代化に取り組み、商店街約350メートルの両側を全面改築。続々と新店舗が完成しました。

■第268号[昭和48年12月1日発行]
1973(昭和48)年11月16日15時に開通した『九州縦貫自動車道』の最初の利用者(公門さん)。市内で飲食店を営む公門さんは「鳥栖のインターが開通するのに、よそんもんに一番を取られちゃ、面目なかですよ」と、開通の22日前から待機していたそうです。二番目の利用者は、公門さんの店で働く佐藤さんで3日間待機。三番目は甘木市(現在の朝倉市)の男性で、遠くは大阪や鳥取などからも“一番乗りマニア”が訪れていたそうです。

■この時期の主なできごと

◇市立図書館特別企画『おぼえてますか あのころの本』
当時話題だった本や出版された本を市立図書館に集めて展示します。6月は、1964年から1973年です。

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