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■大物遺跡
本市に遺跡がいくつあるか、ご存じですか。縄文時代から江戸時代まで、なんと113の遺跡があります。遺跡から見つかる遺物は、土器や石器はもちろん、金属製品や木製品、骨や種など多種多様です。その時代に生きた人々の生活の痕跡とも言えます。
今月は、阪神大物駅の南側に眠る中世の遺跡、大物遺跡を紹介します。
▽足元に今も眠る遺跡
平成6(1994)年、尼崎港線跡近くで市営住宅の建築工事の事前調査をする中で、地下約2mの砂の層から銅鏡や土器などが出土したため、大物遺跡と命名して発掘調査を行いました。
さまざまな出土品を調査した結果、平安時代末期から鎌倉時代の遺跡であることが分かりましたが、調査範囲は市営住宅の建設部分のみであったため、その周りにも遺跡が広がっていると考えられています。
▽全国とつながる交通・交易・交流の要
同遺跡は、当時の港である大物浜に関連があるとされています。
大物浜は、西日本の各地から年貢として運ばれた米や各地の特産品など数々の物資が集まるとともに、農民や漁民から商人などの富裕層まで、さまざまな階層の人々が集まる交通・交易・交流の場として大変にぎわっていました。また、平安時代末期からは貴族や寺社のほかにも新興の武士勢力が進出してくるようになり、さまざまな勢力が入り乱れる激動の時代を迎えます。その中で勢力を伸ばしてくるのが、平清盛です。
清盛は特に日宋貿易の利益に注目し、瀬戸内海航路の整備などを積極的に行いました。当然、交通の要衝で都につながる尼崎も例外ではなく、中国(当時の宋)や瀬戸内海の各港とつながっていました。
同遺跡からは、一般の集落遺跡ではあまり見つからない日宋貿易でもたらされた高級な貿易陶磁器や、瀬戸内海を介した全国各地の港との関係を示すものなど、尼崎が全国各地や外国ともつながり発展していたことを裏付ける遺物が大量に見つかっています。
▽歴史博物館の特別展に行こう!
10月1日から歴史博物館で開催する特別展「博多尼崎京都、中世の港のにぎわい」では、同遺跡の出土品を展示します(詳細は本紙26ページ参照)。偶然発見された同遺跡の遺物から尼崎の豊かな歴史を知ることができる機会ですので、ぜひ同館へお越しください。
■あまらぶクイズ
大物遺跡は、どのタイミングで見つかったでしょう?
(1)公園の木を植え替える時
(2)地震で地割れが起きた時
(3)市営住宅を建設する時
答え:(3)市営住宅を建設する時
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