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人権シリーズ355号

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兵庫県市川町

感性豊かな人・まちづくりをめざして

8月15日は終戦の日。今年は終戦から79年目です。今月は戦争に関する記事を掲載します。

◆檜本兼夫(ひのきもとかねお)戦争に散った歌人
檜本兼夫という人物をご存じですか?市川町観光協会のホームページには市川町の偉人として、橋本忍や清水喜市らとともに紹介されています。

▽檜本兼夫(ひのきもとかねお)
1913(大正2)年、現市川町下牛尾生まれの歌人です。前田夕暮に師事。前田夕暮(ゆうぐれ)は、若山牧水とともに当時の短歌会を代表する人物でした。青年歌人の兼夫は、日中戦争(昭和12年勃発)に召集されました。戦場でも多くの短歌を詠み、その作品は「日本短歌」に掲載され、全国一席の座を3ヶ月続けて獲得しています。ところが、その半年後に戦死。27歳という若さで、前途ある才能が失われました。

▽檜本兼夫の墓
墓はリフレッシュパーク市川から上牛尾塩谷に抜ける道沿いにあります。墓石側面の刻文には、「昭和13年10月16日に羅山にて死亡」までの経緯が詳細に記されています。
この墓のそばの老桜は昭和15年に師の前田夕暮が東京から訪れて植えたものです。
「ぶらりいちかわ散歩道」より

◆戦死された方の墓石
左上の写真のように、戦死者の墓石は細長く先がとがっています。町内各所の墓地において数多く目につきます。召集され戦死された方がいかに多かったかが分かります。
赤紙(召集令状)が来て、家族と離れ日本を離れ、はるか遠方の壮絶な戦場。想像を絶する過酷な状況と絶望の中、多くの方が尊い命を落とされました。
墓石の側面には、亡くなられた期日や年齢、亡くなられた戦地が記されています。盆のお墓参りの際には、戦死された方々の墓石にも目を向けてみてください。

◆無事を願う家族の思い
右の画像は何かわかりますか?
点々とした粒のようなものが見えます。つなぐと漢字が、人の名前が見えてきます。これは、兵士に送った「千人針」です。チョッキ(ベスト)の一部を拡大した画像で、点々の一つ一つは、糸を玉留めしたものです。「玉留め」には「弾止め」の願いを込めています。多くの女性が玉留めをして、名前や図案を表したのが千人針です。 
※画像の千人針は個人蔵

◆お国のための死
「無事に生きて帰ってほしい。死なないで!」
それが家族の切なる思いですが、戦時中はそれを公言できませんでした。お国のために死ぬのが当たり前でした。
檜本兼夫の短歌を紹介します。

人の世の 哀楽の外に 身を賭する
すめらみくに(皇御国)の つはもの我は
 
軍国主義を鼓舞する短歌です。このような作品が戦時下には求められました。一方、兼夫にはこんな短歌があります。
             
痩せ蛍 まいこんできて 光なし
寂しくもあるか 夏の夜更けは

情緒的な作品です。小さな弱い蛍を見つめる兼夫の優しいまなざしが目に浮かびます。
これが本来の兼夫の姿ではないでしょうか。彼の墓石にも「君資性温厚詩才ニ富ム」と記されています。兼夫が中国の戦地で詠んだ短歌には、故郷を思う気持ちや、遺骨となった兵士を悼んだものが見られます。そして、将来を嘱望された青年歌人は、砲弾片を胸と大腿部に受け、戦死しました。
憎むべきは人の命を奪い合う戦争です。そして、世界では未だに戦禍が収まりません

問合せ:生涯学習課人権教育啓発係
【電話】26-0001

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