■『同和問題』をテーマに「第4回人権講座」を開催
文化会館では、同和問題をはじめ、あらゆる差別や人権侵害をなくし、お互いの人権を大切にするまちづくりを目指して、年5回の人権講座を実施しています。9月25日(水)に第4回目の人権講座を開催しました。
▽DVD「芸能と差別~文化を生み育てた人々~」を視聴
今回は『同和問題』をテーマにしたDVD「芸能と差別~文化を生み育てた人々~」を視聴した後、日浦智人権啓発指導員の講話を聴きました。
日本の伝統的な芸能である、能、狂言、歌舞伎、文楽、舞踊、漫才、落語、講談、獅子舞、猿回し、曲芸などなど。それらはいったいどのようにして生み出され、今に伝わってきたのでしょう。
室町時代に活躍した観阿弥・世阿弥親子が洗練させた能は、狂言も加えて民衆の心をとらえ、広い支持を得ていました。彼らは言われなく差別されていましたが、将軍や大名たちの保護を広く受け、武士から庶民にまで愛される日本の代表的な芸能の地位を獲得しました。そして、その後の歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能も、被差別民によって担われていましたが、多くの人たちの人気を博していくと、差別を乗り越えた交流が広がっていきました。
このDVDは、室町時代から江戸時代後期に至るまでの能、歌舞伎、人形浄瑠璃などを取り上げつつ、現代にも伝わる徳島県の「門付け芸」や富山県の「おわら風の盆」などを実際に取材し、消えかかった芸能を保存、継承してきた方々へのインタビューを取り入れ、いかに芸能が差別を乗り越えて支援した民衆によって支えられ発展し、現在まで継承されているかを学ぶ作品になっています。
▽日浦智さん(人権啓発指導員)の講話
現在の日本には伝統芸能と言われているものが数多くあります。「能」「狂言」「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」「獅子舞」「文楽」「舞踏」「漫才」などです。それらの伝統芸能は、当時の被差別民(エタ・非人)が礎(土台)を築き、民衆が差別を乗り越えて支持・支援したことにより発展し現在まで継承されています。
日本を代表する芸能「能」を完成させたのは「観阿弥・世阿弥」の親子(非人)です。観阿弥は、興福寺の庇護を受けて主に奈良の寺社の祭礼などで「猿楽」を演じて回る一座を率いており、自らも役者として演じていました。「観阿弥」が没し、観世太夫を継いだ「世阿弥」はさらに進化させ能の理論書ともいわれる「風姿花伝」を著しました。これには「能」の修行法や心得、演技論、演出論などがまとめられており、日本最古の演劇論ともいわれています。
現在、銀閣寺の庭園は世界遺産となっていますが、室町時代の庭師の善阿弥、その子どもの二郎、三郎や孫の又四郎の作品です。彼らは河原者(エタ)という被差別の身分ながら、八代将軍足利義政の寵愛を受け、善阿弥が病床に付した際には、義政は使者を遣わして、見舞い高価な薬を届けたともいわれています。
また、重要無形文化財であり、世界無形遺産にも認定されている「能楽」は「能」「式三番」「狂言」の三つの分野に分けられていますが、「能」の「観阿弥・世阿弥」親子のように、「能楽」を世に伝え、今に伝わる芸術にまで高めたのも「河原者」(エタ)たちでした。
芸能の起こりは神事や仏事であり、鎮魂や祝福、浄めなどにその起源があります。そうした芸能が洗練されていく過程で、専門とする人々が現れますが、その多くが被差別民であったことがわかっています。
江戸時代には、幕府は役者等への差別法令を出しました。「役者たちは決められた場所以外に住んではならない」「道を歩くときは編み笠をつけ一般人と交際しない」「河原者であることを自覚する」などです。町中を歩くときは編み笠で顔を隠させました。しかし、民衆は幕府のこうしたやり方を嫌い、役者たちを支えました。豊かな町人は増えた観客を収容する大きな歌舞伎の劇場をつくりました。
このように、差別された人々によって築かれた伝統的芸能は差別を乗り越えた人々によって発展していきました。
現在、伝統芸能には多くの人間国宝が存在しています。歌舞伎の世界では片岡仁左衛門、坂東玉三郎などです。同じルーツでありながら、一方では崇拝される存在があり、片方ではいまだに差別を受けている存在がある。この矛盾を私たちはどのようにとらえればよいのでしょう。
「差別」は人がします。人は誰もが「差別者」「被差別者」のどちらにもなりえます。大事なことは「ん?これは差別じゃないか?」って気づける感性、考えられる人権感覚ではないでしょうか。
「人権」は決して難しいものではありません。「我がこと」として考え、「正しく知る」ことが人権意識を高め、私たちの幸せにつながっていくものと信じています。
問合せ:新温泉町文化会館
【電話】82-3328
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