文化財に関わる新温泉町民の輪を広げ、また、子どもから大人までの幅広い年代の方に興味・関心を深めてもらうため、町内に数多く分布する文化財を隔月で紹介します。
■第10回 温泉城(ゆのしろ)
照来地区の桐岡から湯村へ抜ける途中に、湯村温泉を見下ろす位置に白毫山という山があります。別名城山と呼ばれるこの山にはかつて温泉城という山城がありました。
温泉城が建設されたのは今から約700年前の南北朝時代と推測されています。
「城」と聞いてイメージされるような天守閣を持つものではなく、山間部に築かれた実戦的な砦としての役割が強かったと考えられます。これまでの調査により、城の斜面には幅2メートルから3メートル、大規模なところでは5メートルにも及ぶ竪堀(斜面に切込みを入れ敵の侵入を防ぐための障害)が多数設置されたことが確認されています。これらの大規模な防衛施設は、但馬・因幡への侵攻を進める織田信長軍を阻む目的でつくられましたが、兵力の差を覆すことはできませんでした。
同地には、豊臣秀吉がなかなか落ちない温泉城の水源を断った「宴の清水」伝説があるほか、町内の各所には織田・豊臣の軍勢によって寺院を焼き払われたという伝承が残されており、戦乱の時代における新温泉町の様子を今に伝えています。
問合せ:生涯教育課文化財室
【電話】82-4490
<この記事についてアンケートにご協力ください。>