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我がまち朝来 再発見(第199回)

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兵庫県朝来市

■青い目の人形~山口こども園のメリーちゃん~
来月7月から、一万円札の肖像が福沢諭吉から渋沢栄一へと替わります。新しいお札の顔となる渋沢栄一(1840~1931)は、「日本資本主義の父」と呼ばれ、NHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』の主人公にもなった人物です。生涯で約500の会社の育成と約600の社会事業・民間外交に携わったといわれています。そのうち、晩年に携わったのが日本とアメリカの親善を目的とした「人形計画」(Doll Project)です。
発案者は、日本で英語教師などを勤めた経験のあるアメリカ人、シドニー・ギューリック(1860~1945)です。彼は、移民問題をきっかけに冷え込んだ日米関係に心を痛め、日本の雛祭りに着想を得た人形計画を思いつきます。両国の子ども達が人形を贈り合うこの計画の日本側の協力者となったのが、ギューリックの知人であった渋沢栄一でした。
日本へ贈られる「友情(友好)人形」(Friendship-Doll)は、アメリカの子ども達がお金を出し合って購入し、洋服を作り名前を付けました。人形の規格については、「約45センチ」、「手足が動くもの」、「ゴム製・セルロイド製は避ける」といった条件がありました。これらの人形は、のちに日本で通称「青い目の人形」と呼ばれるようになります。これは、大正10年に発表された野口雨情作詞の童謡『青い眼の人形』の印象が強かったためです。
そうして集められた約1万2千体の人形は、子ども達からの手紙と人形用のパスポートを携え、昭和2年(1927)1月にアメリカを出発しました。3月3日には東京で歓迎会が開かれ、各地の小学校(当時は尋常小学校)・幼稚園へと贈られました。2、3校に1体の割合で人形が届けられ、受け取った学校では歓迎会が盛大に開かれました。当時の朝来市域における様子は詳しくわかりませんが、枚田小学校で昭和2年3月17日に「アメリカ人形歓迎式」を開いた記録が残っているため、他の学校・幼稚園にも同じ時期に届いたものと考えられます。日本からは返礼として計58体の市松人形が贈られ、アメリカでも日本と同様に歓迎会が開かれました。
しかし、ご存じのように昭和14年(1939)に第二次世界大戦が勃発し、同16年には日米が敵国同士となります。各学校や幼稚園に残された人形は「敵性人形」とまで呼ばれ、その多くが捨てられてしまいました。
朝来市の山口こども園には、そんな戦中を「生き延びた」人形が残されています。「メリー」ちゃんと呼ばれるその人形は、山口幼稚園(当時)に贈られたもので、金色の髪とブラウンの瞳をもち、ワンピースの上に襟付きの上着を羽織り、上着と同じ生地でできた帽子を被っています。
「友情人形」として幼稚園にやってきたメリーちゃんは、日米開戦と同時に「敵性人形」となりました。傷つけ捨てられていたところを、当時の幼稚園の先生が保護し隠されていたことで今に伝わりました。顔にある傷は、その時についたものだといわれています。
大戦を通して人びとの価値観は大きくゆらぎ移り変わりました。メリーちゃんは、そうした戦争の記憶を伝える大事な「証人」です。

問い合わせ先:文化財課
【電話】670-7330

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