■越前国を治めた一乗谷朝倉氏
令和4年、福井市安波賀に県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館が開館しました。一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国大名の朝倉義景の城下町です。博物館では「朝倉氏の先祖は但馬国朝倉庄(現在の兵庫県養父市)出身の豪族でした。延元2年(1337)、越前(福井県北部)の守護に従って入国した」と解説されています。
朝倉氏は、八鹿町朝倉の地名を苗字にもつ武将です。朝倉に住む朝倉高清という武将の子孫から八木氏や宿南氏、奈佐氏が誕生しました。
江戸時代に大名や旗本の系譜を記録した『寛政重修諸家譜』等によると、孝徳天皇の孫とされる表米が天智天皇から日下部を賜り、朝倉に住んで日下部姓の朝倉氏を名乗ったと伝わっています。
朝倉高清は養父神社に七日間こもって祈願し、神社から授かった矢で恐ろしい白猪を退治しました。その褒美として鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕え、朝倉と八木の領地を安堵されました。高清の子孫が一乗谷朝倉氏となり、孝景・氏景・貞景・孝景(初代と同名)・義景まで約100年、越前一国を治めました。
織田信長の攻撃で滅亡した城下町が完全な形で地下に埋まっていました。現在では朝倉義景の館や町並みが整備されています。八鹿町朝倉は一乗谷朝倉氏の出身地です。
(教育委員会歴史文化財課)
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