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特集 小川原脩記念美術館開館25周年安らぎと豊かさを

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北海道倶知安町

■美術館開館25周年
倶知安町で生まれ、地域の画家たちとともに『麓彩会』を創立するなど、この地域の美術・芸術に大きな影響を与えた画家・小川原脩。
「町内在住の画家・小川原脩の作品を後世に残したい」と願った多くの町民の思いが実り、平成11年11月3日に開館した『小川原脩記念美術館』は、今年で開館25周年を迎えます。

■町民に愛されるまちのミュージアムに
開館25周年を記念して5月25日(土)には、小川原脩記念美術館のプロポーザルコンペで最優秀賞を受賞し、倶知安風土館を含めたエリア一帯の建築・設計を行うなど、美術館建設に深く関わった建築士の井端明男さんによる地域文化講座『25年の時間と建築、そして風景』が、同館で行われました。
講演の中で井端さんは、「コンセプトは『町民に愛されるまちのミュージアム』。外観は、羊蹄山やニセコ連峰など、周辺の景色と調和した柔らかで静かな佇まいを意識した建築を心掛けました。展示室は、あくまでも作品が主役であることから、『建築は背景・風景』となるように、照明や装飾もシンプルにして、絵の邪魔をしない空間としました」と、当時の思い出や美術館建設に込めた思いなどを、集まった多くの参加者に向けて話しました。

■ゆったり流れる時間人と人が出会う場所
小川原の作品をはじめ、すてきな作品の数々が私たちを出迎えてくれる魅力あふれる美術館。
そんな美術館で、2014年から8年間、館長を務めた柴さんに話を聞きました。

■小川原脩記念美術館前館長 柴勤(しばつとむ)さん
▽柴さんと美術館の出会い
主にフランス美術を専門とし、北海道立美術館の学芸員を30年以上務める。
北海道立近代美術館で小川原の個展を開催した際には、担当としてアトリエにも出向き、小川原と交流をした。

▽すてきな眺めとまったり過ごす
この美術館には展示室に加え、雄大な羊蹄山を望める素晴らしいロビーがあります。
ここは小川原脩のすてきな作品を楽しむことはもちろん、好きなように過ごせる自由な空間です。人々がのんびり交流できる場所でもあり、ロビーの椅子にひとり腰を落ち着かせ、まったりとした時間を過ごすこともできます。
私もコーヒーを飲みながら四季折々の羊蹄山を眺めることが大好きでした。

▽たくさんの人が訪れる美術館に
「美術館に行きづらい…」そんな声から、さまざまなイベントを始めました。
現在でも、学芸員の話しを聞きながら美術を学べる『土曜サロン』や地域の方との交流を楽しみつつ、作品づくりの体験ができる『ワークショップ』、さまざまなジャンルの音楽が楽しめる『ミュージアム・コンサート』などが行われており、ひとりでも多くの方が美術館を訪れるきっかけになっていると思うとうれしいです。

▽これからも変わらない姿で
美術館が開館してから25年という長い時間が経ったことは、大変喜ばしく思います。
美術館の要である作品を最良の状態で鑑賞してもらえるよう、数十年先を見据えた保管方法の工夫やデータベース化にも取り組みました。
今後も変わらず小川原脩記念美術館が、作品を楽しみながらも、訪れた方が自由に気軽に交流でき、ゆったりと過ごせる場所で在り続けてほしいと願っています。

■小川原脩(おがわらしゅう)1911-2002
1911年1月21日、倶知安村(現倶知安町)に生まれ、13歳のとき友人から道具を譲り受け、油絵を描き始める。北海道庁立倶知安中学校(現倶知安高等学校)卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科入学。在学中に当時最大公募展の帝展に「納屋」(1933年)で入賞。卒業後、福沢一郎らと「美術文化協会」などを結成。戦時中、軍の命令により戦争記録画を制作。戦後は倶知安に戻り、1958年に「麓彩会」を創立。70歳を目前にして訪れた中国、チベット、インドで創作の新境地を切り拓いた。

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